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稲田朋美って人間としておかしいよね。 [政治]

稲田朋美が防衛大臣の職を辞するという記者会見を、特別防衛監察結果の内容
に触れた言葉とともに見た。

ん? なんかおかしくないか?

稲田朋美が言ったのは「防衛省、自衛隊にとって大変厳しい、反省すべき結果が示されました」というものであり、その防衛省自衛隊の不祥事の責任を取って、自身が辞任する、そういう態度なのだ。

だいたい南スーダン派遣の自衛隊がPKOとして活動する、そのもともとは道路などインフラの施設の整備等が目的であり、駆け付け警護など新たに付与された役割を本当に負えるのか、そういう状態下で現地では戦闘行為が頻発しだしていた。

そして、問題になった日報では、政府軍と反政府軍の戦闘行為が自衛隊を含む多国籍のPKO部隊駐屯地を挟んで行われた、それも単に銃撃レベルではなく戦車を繰り出しての砲撃まで行われたというものであり、戦闘内容がどこまで具体的に表現されていたかはわからないが、NHK特集で放映されていた通り、派遣されていた自衛隊員は死を覚悟、多くの隊員が遺書を書いたという。

南スーダンへのPKO派遣は、野党の追及を受けないように、一人の死者をも出さないうちに帰国させるという、そういう事で帰還が決まったという裏話があるが、さもありなんと思う。

その日報で書かれた戦闘行為の解釈についても派遣されている自衛隊員の神経を逆なでするような稲田朋美の国会答弁が行われているが、この人物に自衛隊指揮の能力などありはしない。

安倍晋三は、平気で相手の神経を逆撫でするようなことを言ったり、簡単に金を拠出する話や自衛隊を海外派遣する姿勢を見せているが、自衛隊員も国民の一人であり、国民のための自衛隊員であることを忘れてはいけない。

自衛隊員一人の命でさえ殉職させる事のないよう、政治は機能すべきであり、単なる駒と考えてもらっては困るのである。戦前のような、虜囚の恥かしめを受けるくらいなら自決しろ、などというような、兵士を人間として扱わないような、そういう風潮が政治の世界に蔓延っては困るのである。
 ありもしない事をでっちあげて、次から次に嘘をでっちあげて私を罪に落とした警察と比べれば、東日本大震災の時の自衛隊の活動は皆が頼もしく思ったものであり、自衛隊がそれこそ本当に全国民に認められた組織になった時だったと思う。

それは原発の燃料棒のメルトダウンという驚愕の結果を免れるためには燃料棒の冷却をせねばならない、そのために、強力な放射線を浴びる可能性がある、という覚悟の上でのヘリでの上空からの冷却水の投下(実際には焼け石に水で実効性がなかった)という、まさに身を捧げた決死の覚悟の行動を我々はテレビ放映で見ている。

そういうものを政治家の方がより、身近に感じなければならないはずなのに、戦闘行為という言葉一つを言葉遊びのように、政治的戦術の中で解釈をし、自衛隊員の命というものに思いを馳せない与党政治家、いや、現実の防衛大臣として、とんでもない人物だった、そういう事になるのだが、そういう人物だからこそ、自分の事を棚に上げて、防衛省・自衛隊にとって大変厳しい結果になったという類の記者会見で、辞職の理由を語ったという事だろう。

舛添要一前都知事が第三者の厳しい目で、と自身が選任した弁護士による調査をマスコミに披露した時にマスコミから大バッシングを受けた、それと同じ構図で、自分が指示した監察は、自身に責がある内容については、詳細・事実は語られないものだと思うのだが、こういう事、よほど国民をバカにしていなければやれない事だと思う。

「あんたが隠蔽に加担しなかったという事実は証明されていないんだよ」

防衛省、という言葉の中には防衛大臣も本来であれば含まれるものだと思うけど、自身が指示した特別防衛監察の結果なので、自身は厳しい指摘を受けた対象にはなっていないという事なのね。でもそりゃ違うだろ!

現実の恐さ [政治]

安倍晋三の強引な手法で成立した“テロ等組織犯罪準備罪”(未だにどれが正式名称なのか私にはわかりませんが、まあ、わかったからと安倍の本音を読んでいるので意味はない)について、野党や有識者あるいは高齢者からは戦前の治安維持法を思い起こさせる法律で、国民を縛りに掛けるものだ、という批判がある。

 そういう事に安倍晋三が何故、真摯に向き合わないのか、不思議でならないというよりは、安倍の頭の中は岸信介という旧戦犯の事でいっぱいなのだろうから、国民の疑問の声など聞く耳を持たない、そういう事でしかないのだが、国際的な組織犯罪防止のための情報入手には欠かせない法律だとか、そういう事など言い訳ばかりが出ている。

 さて、この法案、既に成立してしまったが、では実行部隊についてどれだけ信頼がおけるのか、皆さんは、その点まで含めて考えられただろうか。

 もちろん、私は法案自体のいい加減さから、しっかり目的に沿った法案あるいは既存の法律の運用で目的を達せられれば、それに越したことはない、そういう立場である。国民主権であるのに、その国民への縛りを入れる法律ばかりを成立させてきた安倍晋三など国民の代表などと思えるはずもない。

 で、実行部隊についてだが、皆さん、少し前の、中東の武装組織の一員とかあるいは銀座の宝石店を荒らしまわった欧州の窃盗団の話、覚えていられるだろうか。

 いずれも日本に入国していたり、いや働いていたとか、そういうのもあったりなので、決して国外の話というわけではない、それらの犯罪者は、日本の入出国審査は簡単にすり抜けていたし、日本の刑事、公安警察の両方とも機能していなかった。

 世間で言われているような、日本の警察は優秀だとか、そういう事はなく、決して、日本の警察が優秀だから日本の治安がいいとか、そういうのも実態を反映していない、そういう事なのだ。

 日本の治安がいいというならば、それは国民の大多数が、混乱よりは秩序を選ぶとか、そういう事で成り立つ治安であり、警察の捜査能力が高いからではない、そういう事さえわからずに、捜査機関に強力な武器ばかり与えて、勇み足を免罪化させることにしか安倍はこのところやっていないのである。

 優秀なはずの日本の警察が捕まえられていない犯罪者たちはフランスとかドイツで逮捕されて、その足取りから日本にもそれも数か月の滞在をしていたとか、そういう事が分かって、日本の警察の無能さが露呈するのだが、安倍はこういう事分かっているのだろうか、そう思う。

 つまり安倍は、そういう実態よりも、戦前の体制に戻して、岸信介が偉かった、そういう名を取りたい、それだけの人物なのだ。だから世間や国民とかそういう事以前に、お友達が、自身の中では優先するそういう人物であり、決してまともな政治家とは言えないのだが、まあ、安倍云々よりも成立してしまった悪法、これを廃止するか、あるいはこれに縛りを入れることを我々は考えなければならないのだと思う。

 でなければ、私のように、関係した中では、一番人命を尊重し、まじめに対応した人物が、訳の分からない裁判官、検察官、警察官そして自称目撃者なるおかしな連中によって罪に落とされる、こういう事が多発することになる。

 今だって科学的にあり得ない事を根拠に有罪にされたり、あるいは訴追される人物がゴマンといる実態を知れば、あのような法律成立させることは自殺行為だとわかる筈なのだが、それがわからないとなれば、日本人、本当におバカさんなんだねえ。

李下に冠を正さず [政治]

森友学園問題、国民の多くは安倍晋三の説明や政府・与党の態度に納得していないらしいが、こんなもの、本来ならばさっさと処理して国民がより求めるものの審議に時間を回せばいいもの、安倍晋三が「自身や夫人が関わっていたら衆議院議員も首相も辞める」そのような趣旨の大見得を切った事が、安倍晋三の保身優先で事実究明どころか隠蔽行動に与党が終始して問題を長引かせている。

日本や中国にとどまらず、つまり洋の東西を問わず、色々な格言や諺があり、それらは我々の行動を律したり、おかしな行動はおかしな結果をもたらす事を警告している。

掲題の言葉も中学や高校での漢文を習った時に、だいたい一緒に習う言葉だと思う。
疑われる行動をとるな、という事だが、用いられている言葉を見れば、庶民にこそ当てはまるような内容だが、しかし、多くは役人にこそ、発せられている警告と取るべきである。

李を取るように見えたって、取っていなければ注意されることも罰せられる事もないはずであり、それを疑って、注意したり罰することは、それをした側にこそ問題がある、そういう事ではないだろうか。これが封建時代と法治による近代との差だと思う。

首相及び首相夫人が肩入れしている森友学園、そのように読んだ財務省官僚たちの忖度、これが問題だとしているのだから、その事実の有無を究明し、その事実があれば、そういうことをなくす、役人への縛りを入れた法律を作ればいいだけ。ああだこうだ言っても、法律的に責任を問えず、道義的にまずい、そういう事であれば、そういう法案を作ることで与野党で協力していけばいいだけ。

法で罰せられないからいいんだ、などと思ってはいけない。何故ならば法とは人間が作るものだから、完璧ではない。つまり本来あるべき姿になっていないものがあれば、あるべき姿にする、そうあるべき。

ここで問題なのは、国民の財産とも言うべき国有地の払い下げが、今回は、結果としてごみ処理等の費用問題と絡めば、決して国庫としてマイナスにはなっていないかもしれないが、そうでないケースもあるのだから、当事者の評価など疑われるような処理のみで行ってはいけない、そういう事を立法化するべき、という事だろうか。

官僚が国民の財産を勝手に減価して一部の人間への便宜を図るべきではない、そういう事だろう。しっかり罰則付きで立法するべきである。
時の政府の顔色を窺い、国民の生命・財産をないがしろにする、こういう事が官僚の中で日常的に行われたり体質として蔓延している、これが問題というか重大な問題という事なのだ。

国民への奉仕が目的の公務員にして国民よりも政府や閣僚への奉仕を優先する事があってはならないはずなのだが、役人にそういう事があればそれこそ政権を預かっている政府・与党の重大な責任問題であり、即刻、政権の座から降りるべき、そういうものだ。

国民主権、主権在民と言った方がいいだろうか、この事を理解していない官僚の存在を許すことが政府の怠慢である事、もっと政府の人間が理解するべきなのだが、どうもこの国の議員や役人たちは行政とか国の成り立ちとか税金とか、そういう事についてあまりにも鈍感すぎる。

皆さんにお願いしたいこと! [政治]

また、ブログ更新がままならない生活に戻ることになりそうですが、皆さんにお願いしたい事があります。

それは、国民に縛りを入れるような憲法に改悪させない活動をしてほしい事です。
安倍晋三が口に出した年限は2020年です。しかし、その前に矢継ぎ早に手を打ってくるのは当然でしょう、

安倍晋三は私よりも下の世代ですが、若い世代に安倍晋三のようなファッショが蔓延する事、信じられません。

我々世代は、70年安保で疲弊したリベラリズムや学生運動の反動で、政治的発言を全く嫌い、自分の色を出さない、そういう人物が大勢でした。下手な口をきいて、権力を握る人間に睨まれたくない、そういう事でしょうか。

しかし、そういう事が決していい結果に繋がらないのは、今の我々を取り巻く法律を見れば明らかではないでしょうか。
前のブログでも書いた通り、ひとたび警察沙汰になると、彼らは決して自分たちの間違いを認めようとせず、いや、検察の方がもっとひどいでしょうか。

厚労省の局長も訴追事件では、決め手に欠けた事案であるにもかかわらず長期の拘束の挙句に、証拠のねつ造にまで手を染めて、この時は、内部告発により担当主任検事が刑務所に入る事で、最終的にはうやむやになってしまいましたが、この体質、一朝一夕で変わらないのは、同時進行していた私の事案など見直しの欠片もなかったという事で、明らかです。

多くの事案について、検察はあり得ない事を根拠に訴追しています。そして、こういうことが今後激しくなるどころか、罪に落ちる人の数も増え、そして重罰化する、そういう事なのです。

誰が彼らの活動資金や給料を払っているのですか?
国民ですよ。その国民に対して、恫喝・威嚇他、何でもございで、平気で嘘を言って、彼らに有利な調書を作り上げてしまう、これが戦前の治安維持法だったわけですが、やり方その他、全く私の事案と変わりません。

私の事案でなくとも沖縄の辺野古問題で抗議活動をしていたリーダーが逮捕されて、信じられない長期の拘束されましたね。この拘束誰がやるのでしょうか。いかにも警察とか検察のようですが、実は裁判所です。裁判所の拘束命令がなければ検察も警察も拘束できません。

もっともその理由は検察があれやこれや嘘満載で裁判所に吹き込むのですが、抗議活動をしている人物を拘束したからと、世の中が大きく乱れるという事などありません。証拠隠滅などもありません。でも見せしめにこういう事、検察も裁判所もやるんです。

2000年代に入った裁判でさえ、検察・裁判所はこういうことをしているのですから、安倍晋三の改憲という名のおかしな憲法制定に手を貸せば、これからの日本がより官僚の天下になり、目先の利益にさとい人物の社会になってしまう。そしてこの社会には主権在民などありません。

安倍晋三はロシアでの記者会見の時に、人権などという言葉を使いましたが、私は耳を疑いました。一番人権を制限する法律を立て続けに通してきた人物が人権などという言葉を使ったのですが、それは、武力行使の名目として、人権他の民主主義社会の必須であるものを守るために、武力行使につながる動きを正当化する、そういう事です。

役人から権力を取り上げる法律の一つでも作ってみろ、私はそう言いたい。国民に主権があるのに、そうでないと感じる国家であればこそ、そういうことを積み上げて、初めて信頼を得るのだと思うが、安倍晋三はそういう手続きをすべて飛ばしている。

そりゃ、安倍晋三にはそういう気持ちなどないからで、岸信介の復権がなればいい、それだけですよ。
彼の、政治家としてやってきたことを見れば、政治を私的目的に使っている安倍晋三を総裁として担いでいる自民党のレベルの低さがよくわかろうというものです。

皆さん、安倍晋三と心中しますか? 私は御免です。

時代錯誤の学校教師並みの政府とそれを感じない国民 [政治]

少しばかり長いタイトルになってしまったが、タイトルから言わんとする事、感じ取れただろうか。

皆さんは、学校教育を受けていた時、どのような生徒だったでしょうか。

私など、集団教育など小学校入学で初めて、そういう小学校児童だったこともあって、母親が、特殊学級(遺伝、後天的病気、怪我等で授業内容についていけない児童をそのようなクラスに入れていたという、当時はそのような名称だった)に入れてくれ、そのように学校とか担任からいつ言われるだろうか、と心配する児童だった。

今で言う学級崩壊のようなクラスだったのだが、そういう事、母親には通じないし、形として見えるのは、宿題は忘れる、持参すべき学用品は把握できていない、何だかいつの間にか立たされていたらしい(私自身にはそういう記憶がないが、近所の同学年の人物が、そのように言っていたらしい)。

つまり学校に反発したり抵抗したりしていたわけではないが、結果としてクラス担任の言う通りになっていない児童、そういう事だったのだが、しかし、たった一ヶ月足らずの在学期間で、上記のような恐れを母親が持った、その学校からゴールデンウィーク前に転校した学校では、ごく普通の児童として通学できるようになった。

いや、普通の児童どころか、担任からすると、おとなしく学業も優秀な扱いやすい児童、そういう位置づけだっただろうか。まだ、自身の事さえ分かっていないのだから私には自我もなかった、そういうものだと思うのだが、そういう私が変わったわけではなく、やはり学校とか教師そのものに差があったのだろうと思う。

当時の一クラスの生徒数はかなりのものだったが、最初の学校のクラスは、その典型だったのだろうと思う。だから一番後ろの席にいた私には担任が何を言っているのか聞き取れないどころか、担任と私の間にいる児童たちの全く秩序のない騒ぎしか記憶に残っていなかったのも、当然だと思う。

そういう意味では、ある程度の規律は学校内にあってしかるべき、それは私も賛成する。
だが、その転校した学校で、上級学年に進級した私を待っていたのは、担任教師からの毎日のようなバッシングだった。

その学校で、同じ学年で東大に進んだ児童が少なくとも二人はいたのだが、そういう彼らよりも成績も知能テストも上だった私が、学校や担任を困らせる型破りの児童だったのか?

否。指名された算数の問題への回答が誤答とされ(小学校入学以来、算数で間違ったことは一度もなかった)、確認の為に帰宅後に検証して、翌日、間違えやすいところを間違えたのは、むしろ担任が利用していたアンチョコの方で、このように検算すれば正解が私の回答したものになる、そう指摘した、その事が、毎日、毎授業、算数を除いて私を立たせるためだけの授業になってしまった、こういう経験をすると、授業とは何なのだろうか、とか学校とは何なのだろうか、そのように考えてしまう。

その後、転校をしたりしてから初めて中学校というところで生徒手帳なるものを与えられた。
ここで、学校とか教師とかいう人種のバカさ加減というか、詭弁を弄したり、ずるさに気づくのだが、皆さんは、なんとも思わずに毎日、通学したり学校教育を受けていたのだろうか。

学校の校則なるものは、生徒のためではなく、生徒を管理する学校とか教師が仕事としてやりやすくするためのものであり、決して生徒の為にと作られたものではない、これが当時の私の結論だった。

現に、街を歩いていたりあるいは成人映画上映館の近辺を生徒が歩いていたり、いや、入ったり、そういうことをチェックしやすいようにと、校則では、外出は学生服着用で頭は坊主刈り。生徒の事を思うならば何故、頭に髪の毛があるのか、そういう事から頭を保護するための毛髪をわざわざ短くしろなどというのもおかしな話、とか校則の内容に教師自身が疑問を抱いてもおかしくないのだが、生徒のそういう反論に対して、教師の指示に従わない反抗的な生徒、そういう事になってしまうのだろうか。

中学時代は、突如として学校から指示してきた坊主刈りに反抗して、私は普通に坊ちゃん刈りにしていた。教師の受けは悪かったが、年齢相応の生き方をしていた私としては誰に恥じる事もないと、卒業まで、それで通した。

ところがあまり裕福でないわが家庭では公立高校に進学せざるを得ず、さすがに、高校は、入学できない恐れさえあったので、校則に従ったが、高校教師のバカさ加減に呆れた私は今度は丸坊主の頭で学生服を着て、成人映画館などに入ったものだ。

どこをどう見たって義務教育どころか高校の校則でさえも生徒の事を主眼に作られた校則ではない、そんな事が高校生どころか中学生でさえわかる、そういうもの、自律とか自立とか言っている教師が肯定していることが不思議だったが、実は日教組などと革新あるいはリベラルと言った方がいいだろうか、そのシンボルのような教師が実は、ガリガリの保守だったのだから、ほんとに笑えてしまう。

まあ、今は生徒会とか生徒に校則の内容を任せている学校も結構あるらしいが、上記のような学校を経てきた私には、生徒をバカにしたかのような思考停止の学校教育あるいは校則には本当に反吐が出るのだが、そういうことをおかしいとも思わずに学校を卒業してきたおバカが、今、またおかしなことをやっている。

いや、法律の一つ一つについて言っているわけではない。
大きなお世話、そう思える法律を政府や役人が次々と作っているからだ。

一挙手一投足についてがんじがらめで、皆さんは楽しく生きていると思っているのだろうか。

右足を上げたら、次はそれを前方に出して次は着地して、それからでないと左足を上にあげてはだめだとか、歩き方まで指示される生活のどこが自立した個人であるのか、人権が尊重された社会だとか民主主義社会だとか言えるのだろうか。

何かするたびに法に触れていないか確認しなければ何もできないのでは、それこそ、全体主義国家とか警察国家であって民主主義国家とは言わない。縛りを入れるならば、それは国民にではなく、憲法にのっとっているかどうかという法に対しての縛りあるいは、国民の希望に合っているかどうかという、立法、行政側に対してであり、法律の成案毎に国民への縛りが増えるという国民の税金で食っている役人が、それこそ自分たちが仕事をしやすくするためだけであり、国民のためなどとは全く違う、これが今の政府や役人の立法・行政に対しての考えである。

これって私が経験してきた、おかしな校長、教員たちによるおかしな学校の校則とどこが違うだろうか。つまり、今、色々と躍起になって国民に縛りを入れる法律を作り法案を通している連中は、生徒を下に見て自分たちが仕事をしやすくしていた学校管理者・教員と全く変わらないのだが、大人の皆さんが彼らに子供として扱われているのに、それに違和感を感じないというのはどうなのだろうか、そう思う。

頭の悪い奴が憲法改正などとは言わない事 [政治]

憲法記念日という事もあって、憲法改正の動きやそれに言及する首相以下の閣僚等のインタビューがテレビで流されていたが、改めて。

ブログなので詳細に記述できず、かなり端折るが、ここに書くこと、改めて、真剣に読んでほしい。

安倍晋三が憲法改正について祖父や父親の悲願であり、2020年という期限を切っての実現を目指すという趣旨の内容を述べていた。

しかし、この発想、おかしくないだろうか。クローンでもあるまいし、岸信介や安倍晋太郎が何故、憲法改正を唱えていたのか、あるいはその内容が今に通じるのか、そういうこと等、全く言及せずに自身の祖父や父親の名前を言う事は、国政を私物化している以外の何物でもない。

安倍晋太郎については首相になっていないので彼の憲法改正に関しての持論を知らないが、岸信介については、安倍本人が言うほどお世辞にも立派だとは思えない。確かに戦後政治の中に出てきているし、首相まで務めた、そういう事だろうが、戦後の大事な時期に民主主義を根付かせなかった自民党の一員、そういう位置づけでしかない。

結局、岸信介も他の自民党国会議員も国民主権どころか、国民など馬鹿だから、大事な情報は国民に流すな、そのための国会議員であり政治なのだ、とまあ戦前の体質をそのまま引きずった人間に過ぎない。

少し前のブログで民進党現幹事長を、厚顔無恥で国民の事を理解できていない人物という趣旨の内容で批判したが、岸信介も同様である。

三百万余の死者を出した第二次大戦へと日本を導いた内閣の一員。当時商工大臣として宣戦布告書に名を連ねた責任を感じたならば、ふつう、表に出ようとは思わない、それが人間ではないだろうかと思う。

よしんば百歩譲ったとして、もうあのような悲惨な状況に日本国民を陥らせてはならない、そのように国家のため、国民のため、そういう評価を受けた政治活動であったならば、戦勝国による裁判の結果、そのように戦犯の汚名を国民は日本人として心の中から消し去る、そういう事であったかもしれない。

しかし、国を割るような安保騒動を引き起こして大勢の若者を喪失感に陥らせたり、あるいはあちこちの公害とか社会のすべての悪の根源が日本国憲法に依存するという(今回の憲法記念日にも当時の岸信介のこの談話がテレビで流されていましたね)おおよそ、戦後政治を担った政治家としては、とても考えられない事なのだ。

考えてもわかる話で、近年二度ほど非自民党政権が発足したが、それ以外は戦後の混乱期を除いて戦後からほぼ一貫して自民党政権が続いている。その自分たちの行政責任を無視しての、社会のおかしなことが日本国憲法にある、そう岸信介は言っているのだ。

平和憲法と言われる今の日本国憲法があってさえ、世界的に見ても通常戦力で言えば世界屈指の戦力を持っている日本。とても平和憲法による為政の結果とは思えないのだが、憲法があってさえ、こういうことを自民党政治は行ってきたのだ。

いや、戦力を持つななどと言うのではない。法や行政に縛りがあってさえ、自民党政治は強引に自分たちの思う方に日本社会をもってきている。これに歯止めがなかったら、本当はもっととんでもない事になっていたのではないだろうか。

ポチである日本がご主人様の決めた憲法などちゃんちゃらおかしくて守ってられるか、というのを心の中だけにとどめられずに表に出す、そういう事だろうか。
しかし、当時でさえも日本がポチではなかったし、まして憲法にはアメリカによる指針などという事が入らずに、日本人の法学者たちが草案に携わって作られた、その事が近年より明らかになっているのに、何故、押し付けられた憲法などと、同盟国の親日家が聞いたら気を悪くするようなことを平気で政権政党の幹部が言うのか不思議でしょうがない。

岸信介に話を戻せば、第二次大戦に至った戦前の政治や社会の仕組みの検証あるいは何故、止まらなかったのか止められなかったのか、さらには開戦はしても、戦争を早期に終結させるシステムが何故なかったのか等軍人とはいえ徴兵による多くの国民を犠牲にした、そういうシステムの総括と再発させないシステムの構築を図らなければならないのに、岸信介はやっていない。

日本が何故、第二次大戦の総括をしていないかと言えば、戦後政治を担ってきたのが自民党であり、その自民党にとってあるいは政権に入った幹部の国会議員にとって第二次大戦の総括は自らに唾するもの、そういう事になるからだろう。

戦後も国会議員として活動する動機が、勇気と、国民の事を第一に考えて、反省の上でなっているならば、傲岸な政治は行われていなかったと思う。民主主義の醸成に力を尽くすどころか利権構造を作り続けた国会議員たちの末裔が今も権力を握っている事考えれば、とても彼らに改憲のイニシアチブなど取ってほしくはない、そう思うのではないだろうか。

だいたい、戦争の総括もしないで、日本国憲法の批判などするな、そういうところだが、憲法以前に戦前から持ち越された行政の組織、例えば旧内務省など相も変わらず国民を下に見る組織等の解体の方が急務だと思うのだが、何を急いで憲法改正などとやるのか。だからこそ、法や役人に縛りを入れないで国民に縛りを入れようとする法案が自民党政権下でてんこ盛りなのだ。

戦後の総括で思い出したが、戦勝国の裁判でなくとも日本を戦争に導いた宣戦布告書にサインした面々への日本国としての裁判は終わっていない。そういうことを知れば、岸信介の名など恥ずかしくて出せないだろうに、やっぱり政治家が厚顔無恥はこういうことを見てもわかるというもの。

憲法改正? 誰のため? [政治]

安倍晋三が、またとんでもないことを言い出した。
「憲法改正の機運が高まっている」などと。

え? 誰がそんな事言ってるの?
今、憲法改正しなければ、とんでもないことになる、そのように国民の中で言っている人、どこにいる?

時代は動いているし、北朝鮮のような日本に対して脅しのような事、それも日本という具体的国名まで上げるようなおかしな国家が現れるようなことになれば、日本が今のままで大丈夫だろうか、そう考える人は少なくないだろう。

そういうことを考えると、例えば、北朝鮮からミサイルが飛んできても、明確な反撃手段を持たない日本は、アメリカ頼みという事になるが、自立国家として、それでいいのだろうか、あるいは日本国民の本当の気持ちを具現化する形での反撃を米軍が行ってくれるだろうかとか、そういうところまでの保証は何もない。

ただただ、自衛のための軍備、そういう事でしか第二次大戦の反省からきた日本には、戦う形はない。しかし、敗戦直後とは世界の状況も変わっているし、すぐそばの朝鮮半島では休戦状態という構図まであり、その一方の当事者である北朝鮮が核装備まで進めた上に、その対象であるアメリカというものを、何故か、安倍晋三は、日本に対する重大な脅威であると、北朝鮮とアメリカの対峙する中に割って入って、北朝鮮の矢面に立つ事を敢えてしている。

え? これ何だ? そう思った御仁はたくさんいると思うが、国民の安全安心を図るべき首相があえて日本にミサイル攻撃を誘導し、その脅威があるから日本は米軍と一体になって行動しなければならない、などというのも、あまりに見え透いていないだろうか。

本当に、安倍晋三という人物、何をしたいのか、相変わらず見えてこない。

確かに、北朝鮮の問題は、喫緊の課題だし、核武装して日本人の思いを込めた核ミサイルを北朝鮮に打ち込む、そういう反撃体制も必要かとは思う。
また、常態化した尖閣周辺への中国の領海侵犯など、中国という国の脅威は年ごとに増すばかり。そういう極東情勢の中、日本の安全保障体制が今のままでいいとは思わない。

だが、法の整備にしろ憲法改正にしろ、それは国民の為にという事が根底になければならないし、そのためにも日本をどこにもっていこうとするのか、それをはっきりさせるのが政権政党の責任者の義務だとも思うのだが、「美しい日本」のどこに国民のためというものが存在するのか、安倍晋三自身が語っていないではないか。

戦後数十年から百年になろうという時代を経れば、変化の激しい時代に合致しないものが出てくる、それは仕方のない事で、憲法が改正されるべき、そういうものも出てくるかもしれない。

しかし、だからと一番信用できない人物のもとで、憲法改正などする気はない。それは安倍晋三が国民のための憲法改正などではなく、国家が国民の上に鎮座する形での憲法というものに変形させようという意図がありありだし、本来、法律に縛りを入れるべき憲法を、国民に縛りを入れるものへと変質させようと考えている事明白だからだ。

だいたい、憲法改正しなければならないものを、いい加減な「解釈」云々というもので実体を変えてきた自民党が国民の大多数の信頼を受けて憲法改正できるのだろうか。

安倍君、国民の為に憲法改正をしたいというなら、まずは君が国政から身を引く、それが最初のステップだと思うが、わかっているかな? いや、君のおつむではわからないかもな。

高速道路って誰の既得権? [政治]

偉そうに私を政府首班に、などと言っても私にどれだけの能力があるか、私の周囲の人たちだってわかっていない。まあ、かつての学校の恩師とか所属企業の上司とか、本当に一握りしかいないだろう。

そういう人たちだって、私の真の実力など知りもしないと思うが。では、その一端を、今日は、これからお話ししよう。

車で遠出する機会の少ない学生だったり、あるいは車とは縁のない低所得の社会人であった頃、高速道路の事、現実味がなかったが、それでも首都高の無料化などという話は、会社の仕事などで同僚の運転する車で首都高速を利用するときに語られていた。

高速(有料)道路の無料化は、建設時の投資が償却された時、そういう話で、首都高などは利用者も多く、早めの無料化が期待された。

ところが、ところがである。いつの間にか、首都高の無料化は、上り(あがり)を他の高速道路建設の原資とすることにいつの間にか変わっていってしまった。

郵政事業の国民が預けた金の行き所が高速道路など、無謀な投資を招いている、そういう話のもと小泉政権時代に郵政事業の民営化、高速道路公団の分割民営化が図られたが、そもそも、高速道路は初期投資が回収されたら無料化が筋ではなかったのか。

結局、筋論を忘れると、おかしな話が定着してそのまま当たり前になる傾向が日本は多い。これらほとんどが官僚の懐に利益誘導されるものなのだが、もちろん現役官僚という話ではなく、退任後の話である。

国民への利益還元、このために公務員は、代わりに、税金から報酬を受けとれるのだが、国民への利益還元をしないならば、国民の税金から給与を受け取る資格はないはずなのだ。であるのに、いつのまにか自分たちの為に税金を、動かす、そういう事にすり替わっている現実をもっと我々は知るべきだと思うのだが、そういう観点で、何故、猪瀬直樹が評価されたのか、私には全く分からないのだ。

欧米に行かれた人もたくさんいると思うが、例えばアメリカの高速道路。今、有料化の話もあるらしいが、一部、橋を除いて無料。

何故、アメリカは無料で高速道路が存在し、日本は有料道路ばかりなのか?
シンプルに道路自体を見てわかるのだが、日本の高速道路はオーバースペックなのだ。つまり必要以上に何物にも金をかけすぎている。

何故、そんな仕様になったりあれこれ装備されるのかと言えば、いわゆる利権の構図からだ。
あれが必要、これが必要と言えば、それぞれの供給業者との癒着、すなわち高額での取引を含めて建設業者にも担当者にもあるいは担当部局と言い換えた方がいいかもしれない、恩恵がある。

オリンピックの施設や国立競技場だって、精査しなければとんでもない金額になっていたし、いや、今だって本当はもっと安くできるもの、IOCのバカ会長、いやバッハだったか、その会長と東京オリンピックの組織委責任者との癒着構造で費用が高止まりしてしまった。

オリンピックの主催はマイナスだけでなくプラスもあるので表立って全面的非難をする人も少ないが、日本のように少子高齢化がこれから一段と進むと言われている国にとっては、高額の負債は今後厳しいものになる。

道路だって、必要なものは作ればいいと思う。だが、一方、こんなに金をかけているのだろうかと思うのが日本の高速道路であり、最近やっと、辺鄙なところを通る高速道路が分相応に簡素化しだしたが、アメリカの高速道路は、日本の高速道路と比べて、シンプルであり、これなら、日本の一級国道のように、一般予算で保守ができるのではないか、そう思う。つまり初期投資の回収後は、保守・維持費が必要だ、などと噓の名目をつけることもなく、無料にできるのだ。

ところが日本の主要高速道路は、その保守・維持の費用が高いからと、有料である事の意義を説明されているが、一級国道並では何故、悪かったのだろうか。その答えが前述のような利益誘導の構図を盛り込んだからなのだが、気前よく道路を作りすぎたために、一般道路(橋梁・橋脚も含む)の保守・維持費だけでさえ、現時点で数百兆円に及ぼうか、そういう時代が来るのに、国を守るという観念からは遠い、官僚のよこしまな気持ち。国をすでに滅ぼしかけている。

日本全体の経済活動を考えれば全ての国道を経済指標だけで考えてはよくない。だが、だからと遠く人里離れた地域までもが何故、割高の建設費を投じてまで作られなければならないのか。

誰だって人口密集地に道路を通せば渋滞で経済効率が悪くなるのはわかる。既存の一級国道はその成り立ちから渋滞からは逃れられない経路を辿っているのだが、アメリカの高速道路を見れば、そういう事への対処なども簡単に見えてくる。

圏央道路などはその概念の一つなのだが、ところが相変わらず華美な道路建設という根本的なところは変わっていない。高速道路という名の道路建設、やればやるほど誰かの既得権益が増して、瘦せる国家財政や庶民の懐とは別のところで、ほくそ笑んでいる連中がいる。

戦後何十年、多くの国会議員が渡米しているのに、そんな知恵の一つも出てこない現実が恐ろしい。
道路一つ取ったって、馬鹿じゃなかろか、そういう事をやっているのだから、他の事も推して知るべし。

国会議員というおバカさんたちに任せきりでは、国はよくならない。

良心のなくなった自民党政治 [政治]

いよいよ今年も押し詰まり、一年の垢を落とすべく、いろいろ忙しい中、何とかこれだけは書いておきたいと思う事があったので、時間のない中、乱筆(ワープロだから関係ないか)乱文で失礼とは思ったが、アップする事にした。

2016年の年末を控えて、国会会期末に合わせるように自民党が、ばたばたと通した法案とロシアとの首脳外交。

違和感を感じた人も多かったと思うのだが、その違和感が、何故か、政治の舞台に反映されるような声となっていない気がする。

以前、竹中平蔵という人物が、派遣業をニュービジネスとして、その派遣業で名を売ったグッドウィルの社長をニュービジネスの旗手と持ち上げて握手している写真が雑誌に載っていたことがあったが、派遣業は江戸の昔で言えば、口入れ屋であり、わずかばかりの手間賃で稼ぐ底辺の人たちの上前を掠め取る仕事として、世間では受け取られていた。

つまり、まっとうな人間ならば、汗水たらして稼いだ人たちの、わずかな手間賃からさらに上前を撥ねるような搾取する仕事を業としてやろうなどとは考えない、そういう口入れ屋稼業が一時期はヤクザ、暴力団の資金稼ぎとなる肉体作業の手配師の仕事を反社会的な行為として禁止してきたという歴史を無視して、竹中平蔵が何を勘違いしたか、ニュービジネスなどと称して、派遣業の対象業種拡大を図り、国民の中の格差拡大をもたらしたというわけだが、その張本人がその派遣業の真っただ中にいる企業の顧問、のちに会長として多額の報酬を受け取っている、というまことに、まっとうな人間ならば恥ずかしいことをしたのだが、そういう事、この国では、非難もしなくなっている。

大臣という職権を利用して派遣業に便宜を図って、後に、その中の一社から報酬を受け取るのは、収賄とは違うのだろうか。

このようなことを平気で行う自民党という政党だからなのかもしれないが、カジノ法案を簡単に数の力で通してしまった。

ビジネスの世界では、ウィンウィンというのが、取引する双方でお互いに満足するビジネスという事になる。つまり物の交換、物とサービスの交換等において、納得する取引という事になるのだが、カジノの場合、どうだろうか。

純粋に、プレーを楽しむという人たちが全くいない、などとは言わない。しかし、その多くは射幸心ではないが、多額の金を得ることを目的として、時間と金をつぎ込み、結果として満足感を得られないすってんてんの状況でカジノを後にする、そういう事ではないだろうか。

いわば、多くの人の不幸を代償に売り上げを上げるというのがカジノである、ということであり、それを日本観光に訪れる外国人観光客を対象に導入する、という。東京オリンピック招致で語られた「おもてなし」が、このカジノの考え方のどこにあるのだろうか。

他人の懐を貧しくさせてまでも自らは潤いたいというのが、日本の心なのだろうか。このどこに「侘び寂び」の文化があるのだろうか。

本当におもてなしの心があるならば、安くていいものをサービスして喜んでもらえれば、リピーターも増えるだろうし、日本という国に行ってみたい、そういう外国人も増えるのではないだろうか。

カジノですった悪い思い出しかないようなものや大型のリゾートの目玉として日本の良さを知ってもらうような機会の失われるものを経済成長の目玉とするなど、いよいよ、この内閣の底が見えた、そういうものではないだろうか。

さて、その首相自らが企画したロシアの大統領との首脳外交。外国から見たら、どのように映っただろうか。
 EUはロシアによるウクライナのクリミア併合を非難して経済制裁を加え、さらに強化しようとしている。EUやウクライナから見れば、日本の行為はスト破りに映らないだろうか。日本とて、ウクライナという国の置かれている立場が他人ごとではない事を思い浮かべるべきである。

 決して拡張主義を悪い事と認めようとしないどころか、他国を非難する一方で自国は軍国主義をひた走っている中国。今にも尖閣に上陸して既得権化しようとしている中国という国の、そのターゲットとなっている日本が対中経済制裁を国際社会に訴えて、それを無視するかのように自国の利益だけ考えて行動するEU諸国が出てきたら、どうだろうか。

 中国の日本に対する無礼な行動があってさえ、フランスやイギリスなどが対中貿易を拡大しようと首脳外交をしていたのは、ほんの数年前であり、我々日本人は嫌な思いをしたはずだと思うのだが。

 心ある人であるならば安部の首脳外交、眉を顰めているだろう。自分たちの故郷を追われた北方領土の住民の心情を慮らないわけではないが、ロシアの前身である旧ソ連による関東軍やその軍属のシベリア抑留では北方領土住民の人口をはるかに超える死者を出している。

 東京裁判では旧日本軍の捕虜虐待が問われ、前線の兵士達がその罪を問われて処刑されている一方で、旧ソ連の、シベリアに抑留された、捕虜ともいうべき旧日本兵やその軍属に対する非人道的な扱いについて、問題にされていない。日本が問題にしなくてどこの国が問題にするだろうか。日本国政府として、どのように考え、どのようにしていくのか、はっきりとさせるべきことだと思う。それができていないのは、先の大戦の総括を日本が全くしていないからではないだろうか。

自民党には、先の大戦の総括をされることで困る人物が多数いた、その事と総括が行われてこなかった事とは、無縁ではないと思うが、そのように自分たちに都合の良い事ばかりしてきた政党が果たして本当に政権政党としてふさわしかったのか。

かつて東条英機の孫なる人物がマスコミに出て、偉そうにいろいろ述べていたが、同じように見ると、旧戦犯の孫が、その祖父と同じように日本を危険な国にもっていっている気がしてならない。

そして一番、信用のできない国の一つであるロシアに経済協力するという。経済協力する対象に、北方領土も入っているらしいが、経済的に価値が上がった地域を他国に引き渡すなどあり得ないのではないだろうか。まして自国の利益優先で国際的な条約を反故にして他国に攻め入った旧ソ連の後継国であるロシアなど信用するほうがおかしい。

平和国家らしくはないが、例え百年、二百年、いや千年掛かろうと日本は北方領土を取り戻す、そう宣言して軍事的圧力をかけ続ければいい。北方四島が日本の領土というならば、これの奪回は日本国憲法や国際法で保障される自衛権の行使に他ならないのではないだろうか。

そういう論議をもっと日本国内で活発化させてこそ、ロシアへの圧力となる。当然、そのような地域に民間のロシア人が住み続けようとか、あるいは入植しようなどとは思わないだろう。

大国ロシアなどとロシア人自身や日本人も思っているかもしれないが、国土面積はともかく、人口では1億3千万弱と、1億4千万強の差。思うほど人口では差がない。ましてやGDP比では4兆1千億ドル強の日本に比してロシアは1兆3千億ドルと3兆ドル近い差がある。

どう見たって大国と言うなら、ロシアよりもむしろ日本のほうだろう。ロシア人のほとんども、そういう日本の実力を知らないからこそ、甘い事を言ったり、ロシアの固有の領土だなどと、事実を知ろうとせずに、日本を見下した発言に繋がっている。

そういう国を相手に、遊ばれるような外交などするべきではない。抑留されて彼の地で亡くなった日本人に失礼というものである。外交官がしっかりと外交官らしい仕事をしていれば、その積み重ねで、プーチンのような態度はとれない、そのように一般のロシア人もその代表である大統領も取れなくなっていたに違いない。

ロシアと日本の、GDPを始めとする国力の差は、今後もどんどん差が開くことはあっても縮まる事は当面ないのだから、何を焦っておかしな外交をやるのか。これはもう、ただただ安倍晋三という人物の個人的な利益(自身あるいはその祖父や父親の評価を含む)に依存すること以外何物でもないだろう。

江戸時代なら死罪?年金の不正運用 [政治]

GPIFの年金運用における赤字が公表されたが、参院選前に巷で騒がれた通りの赤字、すなわち、参院選前に公表されれば、与党の敗北につながるとして、定例の公表時期を遅らせて、参院選後に発表するという姑息なやり方を反映する5兆円という大きな赤字が発生している。

さらに、この対象期間前の期も5兆円の赤字という事でトータルすると10兆円超という、安倍政権が年金運用における縛りを我田引水のように、株式投資に持っていけるように解いた、これが、そのまま赤字に反映されているような経済通の分析である。

江戸の時代、盗人が10両の金子を盗めば、死罪、そのように相場が決まっていたようなのだが、GPIFの運用損の10兆円の赤字、これは我々庶民のお金を盗んだのと実態は同じ。それを企画した安倍晋三は死罪、そういう事にはならないのだろうか。

仕事上やったことだから罪は問われない? とんでもない、盗人も盗みは盗人の仕事。たとえ仕事といえども反社会的行為にはしっかり責任を取らせる、これが現代社会ではないだろうか。だからヤクザ屋さんたち、訴追されているんだろうに。正しくない事はまさしく不正、だから安倍晋三のやったこと、不正と書いたのだが。

姑息役人達だって、おかしなことをして訴追を免れるなんて、そりゃ法律がおかしいだろう。こういうことをし続けるなら、ぜひとも自公政権を潰して、公務員でもその目的を外して行ったことは過去に遡ってその罪を問う、そのようにしなくては、こういう反社会的行動が役人や官僚たちからなくならない。

この事、死罪にしてもおかしくない、そう思うのは、マスコミが取り上げている損失額が、実は運用での損失の話に特定しているが、日銀と併せての投資金額が一部上場企業の10%になろうかというかなりの比率で、かなりの企業の筆頭株主になっているという現実、これについては語られていない。

日銀がどれだけ投資して株価を買い支えていこうが直接的に我々は関係ないし、日銀総裁の黒田氏が安倍晋三と共に刑務所に入ればいい。だがGPIFまで巻き込んで株価の上昇を図ったり見せかけの景気浮揚を図ることは許されない。

GPIFの運用損失には株式の売却による損失は計上されていない。運用損失には株の売却価格が計算されているように見えるが、これは見かけ上の計算であり、日銀、GPIFが株を購入して株価を上げたのとは反対に、発行株式に占める大きな比率で株が売却されれば、当然のことながら株価は下がる。

これがどこまで下がるかわからないが、株価を上げた時とは違って、それ以上の値下がりを生むだろう。つまり株運用比率を上げた時に、その分で購入した金額がそのまま元に戻ることはない。だから運用損を出さないというなら、株の配当で株の売却損失分と、購入時から売却時までの、他の運用であれば得られたはずの収入分を合わせた額を配当で得た後、初めてその運用が間違いでなかった、そう言えるのだが。

つまりGPIFは既にとんでもない金額の含み損を抱えていることになるのだが、それをカバーできるほどの経済的繁栄をどういう産業が、あるいはどういう国が見せるか、という雲をつかむような話しかない。

だが、GPIFは年金需要に対応しなければならない目的があり、いつまでも潤沢な資金運用ができるわけではない。つまり株の売却を迫られた時に、株価が低迷状態であれば、弱り目にたたり目、そういう事になるのだが、その時は今の運用責任者も影響力を行使している安倍晋三も知らぬ顔の半兵衛を決め込むのではないだろうか、あるいはもうこの世にはいないかもしれないが。

だが、こういう事をはっきりと示さずに勝手な事をしていいわけがない。日本人はどこまでそういう事に無関心なのか、いや馬鹿なのか、不思議でしょうがないが、衆愚などこういう世界で意味はない。

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