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改正道路交通法と私の冤罪 [司法]

一時、好転したかに思えた目の調子がどうしてもパソコンの作業などすると、目の表面が乾いてしまうためか、すぐに悪化してしまうので、ブログの再開がなかなかできない。

昨夜も手術後では一番ひどい状態だったので今日は安静にしようと思っていたのだが、新聞、テレビで掲題の事、盛んに報じているので、私の事案についても触れておきたい、と書くことにした。

何故ならばあまりに人を馬鹿にした裁判だったからだが。

まず、掲題のもの、中身は自転車の不法無法走行に対しての規制というものだ。

だが、さて、いきなり自転車の不法あるいは無法走行が問題になったのか?
否である。

こんなもの以前から無灯火や道路逆走などが問題になっているもの、しっかりとした対策もしないうちにエコなどという話と携帯や音楽をイヤホンで聴きながら自転車に乗る等といったものが入ってくるうちに自転車走行自体が無法化したというものであり、昨日今日始まったものではない、という事だ。

つまり最低でもこの十年、いや、それ以上前から自転車の無法振りは問題になっていたのに、自転車の事故というと車に対しては弱者だからと、その事故実態を正確に調べもせずに弱者救済などと知った風を装い車のドライバーを一方的に悪いと決めつけてきた司法・行政の姿勢が無法な自転車乗りを増長させてきた、そういうものだ。

私の事案は2010年に、自転車も一時停止で右左という横断幕が張られていた現場で私の車に突っ込んだ自転車によって引き起こされたものである。つまり、その現場にはそういう横断幕が必要な事態があった、そういう事でありその事、警察自体が知っている話という事なのだ。

ところが、裁判では私の車の速度がいくらだったとか、脇見をしていた(担当警官が取って付けた訴追理由)とか、そういう話ばかりで車が単独では事故が起きないのだから、当該車両のもう一方である自転車について、走行経路とか速度とかあるいは、何故、その現場を通ったのか(重要な事実が隠れている)とか、そういう事が審理されねばならないのに、全く、不問に付されてしまった。

もちろん、私ほどの頭脳であれば、そういう事、審理するのは当然、そう思うのだが、弁護士が何故、その事執拗に追及しようとしなかったのか、わからない。しかし、全く取り上げなかったわけではない、それを一審の裁判長であった栗田健一は全く一言も触れずに判決文で、執行猶予を付ける理由として、自転車も一時停止していなかったから、などと取って付けた話しかしていない。

自転車が一時停止しなかったか、そんな事、証拠も何もない話だ。警察の調書にも何も出ていない話なのに、私を嘘つきと決めつけた栗田健一が、担当警官が言った話として私が証人質問の中で、その話を出した、それを判決文の中で執行猶予を付ける理由の一つとして出したのだ。

私は警官がそう言った、そういう話はしていても私自身が自転車が一時停止していない、そういう証言はしていない。何故ならば、私の車の前方にその自転車はいないのだから、一時停止云々の話ではない。衝突時に突如現れた、そういう自転車を一時停止していないなどと言っても意味はない。だから私はしていない。そして検察の提出した資料にも一つもそういうものはない。

なのに何故、栗田健一は自転車が一時停止していなかった、そう言えるのだろうか。この栗田健一という裁判長を努めた男は本当に訳の分からん人物である。

少し話はそれるが、車の任意保険を掛けていた保険会社の担当者は、
[今は、車のドライバーに厳しい時代だから、せいぜいがんばるんですね」
このような失礼なことを言った。

周囲からはみんなが知らないような保険会社を使うからだと言われたが、周囲が思うようにこの担当者はゲスであった。保険会社の名前を知りたいという御仁にはお知らせしよう。

似たような反応は知人達からでなく共産党系の組織や以前にも書いたように共産党の市議からもあった。つまり世の中の実態を正確に捉えることなく、冤罪でっち上げの過去がわんさかある警官や検察の訴追を無条件に受け入れる素地というものが、こういった連中にはあった、そういう事になる。

しかし、テレビや新聞で報道されるまでもなく、町を歩けば無法自転車が我が物顔で暴走していること、誰もが感じていたはずなのであり、そういう事に感性のない連中が、事故当事者に対してだけ、いかにも世間的ブームに乗って正義漢面することは止めろ、そういう事だ。

栗田健一などは、物証等で反証されてぐうの音も出なくなった事案を、職権で証拠不採用としたり、調書開示請求の却下としたり、一方的対処で強引に私を犯罪者としてしまったが、果たしてどちらが悪人なのだろうか。

公正公平な裁判であれば、まして事故現場には自転車に対する警告や横断幕等複数もある場所であり、当然の事ながら自転車に対しても検証すべき事柄が山のようにあった、それを全て蓋をして、とにかくこの種の交通事故としては異常な保釈請求をことごとく却下するといった対処をした自分たちを正当化するために有罪ありきの審理を行ったのであるから、栗田健一こそ、裁かれなければならない。

交通則を守り、事故で重傷に見える人物を救命しようとした人物を、罪に問うなどという社会が先進社会のどこの世界にあるというのだろうか。まさしく、緊張感のない仕事をした、その事を恥じたり反省すべきところ、自分たちの落ち度を職権を利用して人を罪に陥れるなど、犯罪以外の何ものでもない。

もうあちらの世界に行こうかという高齢の母が、テレビで報道されているこの改正道路交通法の説明を聞く度に私の事案での判決に怒りを露わにするのだが、当然の事ながら私だって腹が立ってしょうがない。

私の体調不良の原因のほとんどは、プレッシャーから来るストレスではなく、持っていき場のない怒りによるストレスから来るものなのだ。

この事案の犯罪者達には思い知らせなければ母親が死んだ時に浮かばれない、そういう事になるらしい。
覚えておけよ、偉そうにした無能な裁判官、検察官、警察の関係者!

私の怒りやこういう文章を異常と思う御仁もいると思うが、私の知る限り、陥れられた冤罪被害者はもちろん、裁判で一方的にやられた人達でさえ、「もう数十年経つが、あの裁判官や検察の野郎達、ぶっ殺してやりたい」そういう言葉が出る。

裁判が新たな怨みを作るような社会は正常な社会と言えないのに、関係者達はわかっているだろうか。いや、頭の悪い連中だから未来永劫わかりはしないだろう。
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