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たまには充電 [日記]

ここが、どういうブログであるか、私は、自身の事よりも世の中のおかしな事について見過ごす事が住みにくい社会になると、僭越ながら、と一応つけさせてもらうが、警鐘や啓蒙のつもりでこのブログを書き始めたのだが、そのおかしな事に自身が巻き込まれて、最近は読まれる皆さんが”私個人の鬱憤晴らし”と勘違いするような内容のものが多くなってしまった。

怒りがないわけではない。しかし、私の身の上に起こったことも、やはり放置すれば社会の劣化に繋がるものであるので、その事を踏まえて書いてきたつもりなのだが、体調のこともあり、丁寧な内容にはなっていない。つまり読み手が理解しにくい内容になっているものも多い。

それを承知で書いてきているが、まあ多分、訪問されてきている方や、私が呼びかけた方達にしても、伝えたいもの、他のブロガーに知られるのは躊躇う、そういうものもあるかもしれない。

また、私にしても、放電状態ばかりでは薄っぺらな内容の焼き直しという事になるかも知れないので、たまには皆さんの忌憚のない考え、意見を拝聴したく、メッセージの受付が機能しないので、今回はコメント欄の受付のみで表示はしないことにします。

猫のマイナス面を書いても仕方ないのだが [日記]

安倍政治の危うさや日本という国の危機に繋がる事をもっと書きたいと思うのだが、現実の生活はそんなに甘い物ではなく、あまり体調が回復していない中、マイカーの洗車の毎日でけっこう、大変である。

毎日洗車をすれば水道代が掛かるし、第一水の無駄である。そう思うのだが、猫のマーキングはすぐに洗い落とさなければ、マーキングした猫とは別の猫がその上に引っ掛けるという事で、すぐに洗い落とさなければならない。

バンパー程度はいい方で、今朝も買い物に行こうと窓ガラスをチェックしたらフロントガラスの全面にしぶきが飛んでこびりついている。昨日も、そして一昨日など2時間以上掛けてきれいにしても意味がないのだが、前述のように猫のマーキングはすぐに洗い落とす必要があるので、とりあえず、窓ガラスだけは洗って、出かけたのだが…。

買い物からの帰宅後、チェックしてみるとボンネットに相当量の尿が掛かっており、日射しの増した中、花粉症だかで鼻水を垂らしながらの、洗車である。

一度きれいに水気を拭き取ったのだが、けっこう、こびりついており、たかが猫のマーキングと侮れない。再度洗い直しをしたが、簡単に1時間経ってしまった。

猫にしてみれば自分たちのテリトリーという事なのだろうか。しかし、我が家は既に何十年と経つボロ屋になっており、最近、車に悪さをする猫達よりは先住である。

今まで、数多くの野良が我が家をテリトリーとしていたと思うが、車の周囲に糞をしていた、我が家のお転婆の父親を除けば、車に乗ってマーキングをしたり泥まみれにしたりする猫はいなかった。

どうも、最近我が家の周囲をうろつく野良は私を敵として、テリトリーを強調する行為が車に乗ってのマーキングのようなのだが、丁寧に観察すると塗装保護のために特殊コーティングまでした車の表面が傷だらけである。

猫を捕まえて賠償請求したいところだが、金を払ってくれるだろうか。いや金を払えるくらいならホームレスなどしていない、そう言うか、あるいはお前こそ所場代を払えと逆に凄まれるか。

にしても洗車の毎日は、意外と肉体的にも疲れるものである。

弱り目に祟り目 [日記]

まあ、書くほどの事もないし読むほどの事もない私の愚痴なので、さらりと読み流して欲しい。

昨年、消費増税があるという、その期限間際で車を購入したのだが、あまり車の手入れに時間を掛けられないかと、ディーラー推奨のコーティングをしてもらった、そのコーティングのコンディション具合を確認するために法定点検の時に洗車して持ってきてくれと案内状に書いてあった。

寒い中、先日洗車もしていたので、きれいだったのだが、車の持ち込み二日前に道路を挟んだアパートが、風の強い日に外壁をジェット洗浄していて、ジェット洗浄で吹き飛ばされた水分と埃らしきものが風に乗って風下の我が家の方にも飛んできていた。

翌日、車を確認すると相当に砂埃らしきものがたかっている。さらに前部バンパーには黄色い液体飛沫が相当量掛かっている。

飛来してきた洗浄飛沫の影響を比較的受けていなかった車の屋根後部には、見てすぐに分かる二条の筋が。

結局、改めて洗車せざるを得ない状況になったのだが、先日来の体調不良。寒風吹きすさぶ中、作業しても片っ端から砂埃が付着する可能性があるため、作業を止めて、翌日の点検日の午前中に賭けることにした。

天気予報では強風が収まり気温も上がるとのことだったが、案に相違して、前日と変わらぬ強風と寒さ。

その中を体調の悪さを我慢して2時間掛けて洗車。

さて、ディーラーに車を持っていって、車の屋根部分に軽くではあるが20cmの長さの擦った痕が2本あり、それぞれに細かく見れば4つの筋状の痕がある、その事を伝えた。

わざわざ他人の家の駐車場に入り込んで車の屋根に同じような筋をつける人間はいないだろうから、たぶん、猫ではないだろうか、だが、今までこんな傷を猫がつけた事などないので、傷の状況等確認して簡単に保守液で済むようなら自分で対応してみる、そういう内容で。

ディーラーの担当者の話ではやはり猫だろうとのこと。

先日来、野良が洗車をする度にマーキングをする、洗い流す、またマーキング、それを繰り返しているのだが、車のボンネットに乗ってさえ、車の表面に跡が残るほどの筋を付ける事などなかったのだが、果たして本当に猫なのだろうか、そういう疑問がある。

確かに肉球のような柔らかいもので擦った痕。それも片側ずつ4筋というものなので猫といえば猫なのだが、コーティングの強度と猫の体重を考えれば、それほどの痕が付く事が信じられないのだが、昔気質でものを大事にしている事など野良猫にはわからないか。

いやいや人間様だって私がものを大事にしている事など関係なく、平気で車を人にぶつけたと因縁をつけて犯罪者に仕立てた奴らもいる事だし、ましてや野良猫ではしょうがないか。

愚痴話を書いていたらまた喉が痛くなってきた。時間がもったいない。寝なければ。

体調不良?! [日記]

体調が悪いのでブログも休もう休もう、そう思いながら続けていましたが、この一週間、強烈に喉が痛く、扁桃腺も腫れてきたので、少し休養をします、そう言いながらも次のブログを書きかけていましたが。

実はあまり気にしていなかった鼻血がなかなか止まりません。そう言えば、昔、鼻血ブーなる品のない漫画が一世を風靡したけど、私は鼻血ブーになるような刺激的なものにもありついていないし、などと考えながらもう10日くらいになるでしょうか、花粉症で鼻をかみすぎたのかと、鼻をかまずに鼻水をティッシュで拭くような感じにこの一週間ほどしていましたが、出血が薄らぎはするものの、止まりません。

ここに来てとうとう悪運尽きた、いやいや悪運は尽きた方がいい、私にはいい運が来て欲しいなどと訳のわからない事を考えながら、朝晩の寒さに対応しつつ、できるだけ負荷を掛けない生活を送るようにしていましたが、このブログをもって、休む方をメインにブログはちょぼちょぼにしようと思っているので、皆さんへの訪問もこれからはまちまちになりそうです。

皆さんもこの寒暖の激しい日々を元気でお過ごしください。

たぶん、明日あるいは明後日にはまたブログをアップすると思いますが…。

センバツの思い出 [日記]

今年もセンバツの季節がやってきた。

いやセンバツの思い出と言っても、私が甲子園に出たなどという事ではないのだが。

高校で野球部に入りたかった私だったが、実は野球音痴というか、私の世代だったらふつうに三角ベースなどボールに馴染む年頃に女の子と馴染んでいた、いやこれは冗談だが、空き地だったところがどんどん建物が立つという事で、ほんの一、二回年長者の中に入れてもらった程度で、結局、子供用か大人用か分からないグローブがあっただけという、学校のソフト程度しかやった事がないまま高校に進学してしまった。

という事で、高校で野球部に入ってピッチャーなるものを目指そうと自己顕示欲ばかり強くても、経験者でない自分がピッチャーどころかものになるかさえも分からないという事で、野球部に入る事を諦めた、この思いは社会人になっても消えなかった。

私は自分の母校の、私の時代の教師達が嫌いである。たぶん、今も変わっていないので結局、そこの学校の教師という連中が嫌い、そういう事になるのかも知れないが、だからと学友達までもが嫌い、そういう事はない。同じ時期に同じように悩んだかどうかは分からないが、同じ雰囲気と時間を共有した仲間、そういう感覚はある。

そういう事も含めて、母親の友人達の消息を知っている人物もいるのではないか、と同窓会に一昨年、昨年と二年続けて参加したのだが、私が在籍した当時の嫌いな雰囲気を同窓会も持っている。その嫌いな雰囲気の同窓会のビンゴゲームで景品(同窓生有志の提供)が二年続きで当たっている。

同期の一人に、嫌いな同窓会に高い参加料払っても賞品が当たって元を取ったんじゃないか、そう言われたが、そう言えば、とその昨年当たったはずの賞品(旬のグレープフルーツ詰め合わせ)がそろそろ来てもいいんじゃないか、と昨日思いだした。

その思いだしがてら、銀行に預金を引き出す、と言っても通帳を裸で持ち歩けないと、銀行に持っていく通帳類を入れるバッグがないか、と適当なものを探して、少し古い、昔よく使ったバッグが出てきたので、バッグの中をあらためると入場券が…。

何と母校が選抜に出場した時の入場券が出てきたのだ。そう、昔と違って今は滅多に出られないので、生きているうちの最後、そういうつもりで母校が最後に出た時の応援に甲子園に行った時の入場券が出てきたのだ。

相手投手は今や、ニューヨークヤンキースでエースの座に座らんとしている田中将大選手。当時は今のような活躍の前だったのだが、相手投手とは言え、大投手になったのだから生で見られたのも、母校が甲子園出場したからと、いい方に解釈。ヒット数は勝っていたのに、試合では負けて、さすが母校らしい、そう思いながら車を運転して帰途についた事を思いだす。

まあ、そういう事もあるので繋がりは大事にしておいた方がいいか、と今年も支障がなければ同窓会に出ようかと思っているが、向こうで出てきて欲しくないかな?

そして、今日、往復2時間掛けて外出、夕方帰宅すると、同窓会で当たった、グレープフルーツが段ボール入りで届いていた。こういう事を感じ取れる能力が私にはありますねん。後輩の井上君、ありがとう。

なになに? グローバルフルーツ(通販サイト)のフロリダ産グレープフルーツ、一房ずつ取りだしてお召し上がりください? 賞味しました。ありがとうおいしかったです。

最後は宣伝に協力させてもらいました。

寝台付き列車相継いで廃止、思えば… [日記]

列車の旅、郷愁を誘うもの、私にとってはそういうものだが実は自身で金を払えるようになってからは、利用した事がない。

何故なら、割高感があり、単に移動なら新幹線とか在来線特急を利用するし時間的余裕があるなら自分の車で移動した方が精神的にも楽、そういう事でマイカーを持った20代後半からは旅行として列車の旅をする事はなかった。

ガソリン代価格が上がった時の列車の普通運賃でさえ1人乗りのマイカーでの移動の1.5倍の値段が掛かる事、日付、時間など予約が面倒くさい、そういうものがあって、仕事が多忙であった私には、選択肢にならなかった。

実はブルートレインなる名称が付くずっと以前から我が家は寝台列車のお世話になっていた。いやいや、家計に少し余裕が出てからだろうか。それまではリクライニングでも何でもない堅い座席で寝ての移動、そういう列車旅であったが。

私は生まれて半年で東京と九州を移動する旅をし、それから何度となくその往復を繰り返してきている。その間、前述のように堅い固定座席での列車旅、それも朝5時起きで東京駅に行き、列車名の看板の立っている駅のコンコースに並び、相当時間並んだ後、駅員の誘導で列車に乗り込む、そういう事を経験している。しかし、これは特急列車ではなく急行列車での旅。

寝台車を利用できるようになったのは小学生になってからだろうか。但し、列車は急行列車である。長いトンネルに入る時は網戸だけでは蒸気機関車の煙が入るので窓ガラスを閉める、そういう作業をずっとやっていてからだったが、寝台車になってからは窓は開けなかったような気がする。

そして何故だか子供心にも蒸気機関車の三重連というのが、すごい、そういう感じがして、大きなカーブに差し掛かると、一生懸命先頭部を窓越しに見て、その雄姿を楽しんだものだった。まさか、いい大人がその頃の私と同じような思いで鉄道車両に一喜一憂する時代が来るなどなどとは思わなかったが。

私の長距離列車の旅、最後は、と言ってもまだ小学生の時代、今はなき、”あさかぜ”。たぶん、初めて乗る特急列車だったと思う。
乗った時期は夏。当時は冷房の効く列車など知らなかった時代、夏に冷房の効く列車に乗れて幸運だった、と言いたいところだが、夏でも寒い日はある。その寒い日に乗車日が当たって、乗客が寒がっていたのを思いだす。

冷房は子供にはやはり効きすぎて震えていた事を思いだす。車内温度計は16℃を示していたので、今ではとても考えられない温度だ。車掌が個々の温度調節ができないので申し訳ない、そう謝っていた事を思いだす。体を温めるのにコーヒーを飲んだりしたが初めて牛乳と混じっていないコーヒーを飲んだのもその時だったし、一等寝台というのも感動した。

最後の”あさかぜ”の思い出が強かったので、長距離の移動の時は寝台列車に乗ろう、特に”あさかぜ”に乗ろうあるいは座席が取れなければ”さくら”とか”はやぶさ”、そういう思いがずっとあったが、学生時代の旅行では途中下車を頻繁に繰り返すので寝台列車の用はない。

結局、新幹線で用が足りるようになった時代に社会に出てしまうと、ブルートレインにはなかなか縁がなく、カシオペアに乗ってみたいね、いや、あれは夜中走っている列車だから景色も楽しめないし、大阪発のトワイライトがいい、そのような話をしているうちに、とうとう旅客列車という趣のある列車が消えてしまった。

いや、私が知らないだけでまだ、どこかで運行しているものがあるかも知れないが、団塊世代もリタイアして需要がまだまだあるのではないかと思っていたのに、もったいない。

しかし、臨時便、いつまでやってくれるのだろうか。乗れるとしても私の懐勘定で乗れるだろうか。いや、我が家にはお転婆がいて留守にできない。う~ん、どないしょ。

ティッシュの一つも出ない!? [日記]

皆さんのところにも売り込みがあったかも知れないが、先月だったか保険会社の担当者が来て、死んでいる貯金がないか、尋ねた。

たいした額はないが、貯金などみんな死んでいるし、私も死んだようなもんだ。
そしてら生命保険で死んでも死亡保険金が出るし途中解約でも率のいいものが出たので、どうですか? と言う。

ちょうど不良資産の処分を考えているので、それが処分できたらまた死に金ができるかも知れないというと、簡単なシミュレーションシートを置いていった。

その後、通帳関係を調べて見ると、今は、とんでもない利率である。

以前、海外で、盗難除けにと定期だかにしていた当てにしていない金がいざ、解約したら5%の利子が付いていてびっくりしたものだったが、日本の預金利子などそれが一桁低い。

いや、そう思っていたら、いつの間にかもう一桁下がっていて0.025から0.03%なのだ。
ある銀行に母親がうっかり普通預金で入れていた1000万円など10年以上放置していて、1万円にもならなかった気がする。

という事で最新の利率を確認に銀行様に確認に行った。
一応ペイオフを超える額が入っているのだが、ティッシュの一つも出ない。
いや、これは一つでなく複数の銀行でそれであった。

年賀状や振り込みなど、あるいはこういう定期が出てますけど、どうでしょうか? このように郵便局では行く度に窓口の女性が笑顔で勧誘するのだが、窓口女性が昔の憧れ女性に似ているという欲目もあるのだろうか、とても親切に見えてしまう。

そこでついつい言われるとおりにしてしまうのだが、郵便局ではティッシュどころか洗剤やラップ、バッグ等色々サービスしてくれる。

銀行のメインは元金にリスクのあるものの売り込みなのだが、顧客に損失が発生した時にどういう顔をするのだろうか、そう思ったり、今の利子率で平気な顔をしている、こういう仕事に就いているとサービスさえ忘れてしまうのだろうか、そう思った次第。

ちなみに一番大口から金を移動させる事にした。元金のリスクのないものに金をシフトさせるのは当然だが、今言われている事はいずれ銀行預金に利子どころか、銀行が利子を取る時代がすぐに来るという事である。

まさか、そう思うが言われてもさもありなん、そう思わせるところに銀行の本来の役割など終わっている、そういう実体がある。

お転婆、世話が焼けて… [日記]

一時期小康状態を保っていたものが、花粉が飛び出したのが原因か、この二週間ほど目がしょぼいどころか、またまた失明するのではないかと言うほど、大変な状況になりつつあり、パソコンの画面も見辛く、パソコンに向かっている事も症状を悪化させている。

そういうわけで、簡単にまとめたものを書いていると、何やら入っている炬燵がぐらぐら動く。
炬燵越しに見ていると、反対側で猫が炬燵布団を持ち上げたり、引っ込んだり。

その前に、愛想を振りまきに来ていたので、餌が欲しいかと、給餌してやったのに、餌には目もくれずにうろうろしてから炬燵を覗いて入ろうとしていたので、それならばと、布団をめくって入れてやったのだが。

我が家のお転婆、人が入っているその脇から入るのが楽と見えて、炬燵には私の脇から入るのだが、その時、炬燵の熱気に直接当たると冷まさねばならない。これが面倒くさいので、炬燵の掛け布団と毛布の間に入るようにしている。

この微妙な位置が自分で取れない事から、私を自動ドアの如く、私の脇で炬燵に入るそぶりをする事によって、布団を上げさせるのだ。

ところが先ほどは、直接炬燵の中に入ろうとして、私が布団の裾を抑えていたために、うまく入りきれずに、炬燵に入る事を私にアピール、私が脇を上げて、炬燵に入れたのだが、この時、必ず私の足を踏んで、下に落ちないようにしている。

そう我が家は親父の手製の掘りごたつになっており、猫も下に落ちないように人の足を踏んで目的場所に移動する。そして炬燵の縁の居心地のいいところに移動するのだが、炬燵がぐらぐらしていたのは、このお転婆が炬燵を動かしていたのだから、たいした力である。

それが私の反対側から炬燵越しに私を見たり、もそもそしてはまたぐらぐらと炬燵を動かすので、何か虫でもいるのかと炬燵から出て、反対側に回って猫の様子を見たのだが、虫を追いかけている風もない。

直接炬燵の熱気に触れているようなので、これは熱いだろうと毛布一枚挟んだ状態にしてやろうとするのだが、抵抗するように動かない。

何の事はない。実は炬燵の天板に、洗濯物が乾かない時のために、湿った衣類を入れられるようにしたネットが張られているのだが、お転婆の奴、わざわざ、そのネットに入ってから移動しようとしたらしい。

ところが、その中のひもの一本に後ろ足の根本が引っ掛かって、抜け出せずに、炬燵をぐらぐら動かしていたらしい。お転婆がにゃんとかしろ、そう言ってくれればさっさとやったのだが、自分で抜け出られると思っていたか、格闘しまくっていたので、こちらからすると、何だかまた嫌がらせでもしているのか、そう見えたのだ。

とにかくお転婆の一挙手一投足が私にとっては手の掛かる動作なのだが、お転婆は生まれた次の瞬間から他の兄弟をいたぶっては母親に折檻されるという、三つ子の魂百まで。当分、小奴の呪縛からは抜け出られそうにない。

そう言えば、朝、母親が畳が傷んでいる、そうのたもうたが、畳貼り替えの時に、上にマットを敷かないとすぐにすり切れるからマットを敷こうか、そういう会話があった事など母親も聞いていないと言うし、お転婆も、全く気にせずに走り回っている。はて、歴代の猫、こんなに走り回っていただろうかと、思い巡らせても、少し活発すぎる。

という事で、書いていたブログがまとまらなくなったので、本日は猫の話で誤魔化してみました。

目の症状がひどいので少し、休むかも知れません。

冷や水を浴びせる気はないけれど… [日記]

ぼちぼちだったのが先週末から一気に東京大空襲と東日本大震災の復興イベントや特集がテレビや新聞紙上を賑わす事が多くなった。

3月10日とか3月11日という日を迎える度に心を新たに、と言うのは別に悪い事でも何でもない。だが、他の360日余を、とここまで書いたところで、飼い猫が下呂里出す声を出し始めて、慌てて中断したが、時既に遅し。

可愛いとは言っても廊下だけでなく我がスリッパの上にわざわざやられると、後の始末もだが、嫌がらせでやられたのかと滅入ってしまう。餌をくれとせがんできたので、私が給餌した、その餌を食べた次の瞬間にやるのだから、これはもう、私のブログへの気持ちに冷水を浴びせよう、そういうものだったかも知れない。

いや、いや、こんな事で筆を折ってなるものかと、続行する事にして…。

中国人を持ち上げる気はさらさらないし、実際にそういう例がどれだけあるかという疑問もある。だが、例えば、山奥に住む人物が町に出るのにそれを塞ぐように存在する山が邪魔だとする。するとこの山を移動させる、それにはそう考えた人物一代ではできなくてもその後何代も掛けて山を移す。これが中国人だと私は学生時代習ったし、実際、私が話をした中国人自身も認めていたのだが。

日本人はとかく、情に流されやすいが、言い方を変えればその場凌ぎという面が強い。つまり3月10日、3月11日を除いた他の日はほとんど頭にない、そういう事になる。

現実に、ボランティアで助かり、また復興の流れに乗りかけていた東北の中小零細事業が、あっという間にボランティアが減って、計算が立ち行かなくなりつつある。

結局は、腰を据えた組織的な取り組みが必要という事なのだが、当事者意識のない官僚が関与すると、これも、もうどちらを向いているのか分からない仕事ぶりになってしまう。

こういう現実があれば、私など苦しい家計の中から義援金として寄付してきた家庭としては白けてしまって、何故、不断の取り組みをしていかずに、こういう時だけ取り上げたり、何かやっています、みたいな事で取り繕うのだろうか、と思ってしまう。

福島原発の水素爆発やメルトダウンが起こるかも知れないという危機をテレビの中継で見た人達は、こういうもの世の中に存在してはいけない、そう思ったのではないだろうか。

であるのに、原発立地自治体やそこの住民はもう他人事のように早く再稼動してくれなどと言っているし、こういう事があると、通常であればもう我々が生きているうちに、このような大震災や災害に見舞われる事はないだろう、そう思っていた事よりも、こういう我々の営みに自然は容赦なく天罰を下すのではないだろうか、そういう懸念が生じてきてしまう。

前述の中国人ではないが、しっかりした目標、目的を持つ事をおろそかにして、集団でわあわあやる事で済んでしまうのだろうか。

今日は、まともなアップを止めます [日記]

皆さんも経験があるかも知れませんが記事をほぼ書き終わって、アップするところまでいっていた時に、他のページの操作をしようと、うっかり他のタグに切り替えないままにうっかりお気に入りの操作をしてしまったのだが、あっと思った時は後の祭り。こういうケースで消えた下書きを復元する方法はないだろうか、というほどの内容も書いていないのだが…。

今日は、他のことで集中しすぎて、もう寝る時間を過ぎてしまっているので、たまにはいいか、こういう日があっても。

いや、集中する作業で少し疲れたので、息抜きに、ユーチューブで昔の歌手の映像を見ていて、デュエットがあまりにあっていたので、デュエットがに遇う年代とは、昔と違って今はみんな見かけが若くなったから50歳くらいが脂がのってちょうどいい年代か、などと思って、それが終わって、画面を切り替えようとして、まずった、というのが、正直なところです。

何事も似合う年代というのがあるのだろうかなどと、考えてしまったのだが、その事はまた改めて。

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