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政治家と良識 [政治]

少し前のブログで橋下徹氏が司会しているテレビ番組での前とか元知事経験者たちの言動についての感想を書き、その中で橋下氏が一番庶民感覚に近い発言をしたと書いたと思う。

だが、例えば、政治家で叩いてホコリの出ない政治家などいない、そういう政治とか政治家全般についての彼の発言は、それを肯定する姿勢が見られる。本人は、自身について、しっかり説明できる形をとるように是正したり役所の事務局と話し合って、対応したと言っている。

自身が、それが対応策として良い、そう思ってしたのだったら、そういう話をするべきだし、既成政治家の今の姿を肯定するような話をすべきではない、そう思うのだが。

舛添要一氏の政治資金の使い方について、いい事ではないが法に触れない、そういう中で、家族旅行が会議費名目で経理処理されていた問題は、政治資金規正法が政治家の政治資金として収入が賄賂というケースがある場合を想定して、入りに厳しく、出にザルであるという事、政治家が賄賂を贈るというケースを想定していないので、出費名目に関して大雑把、そのような感覚で成立している。

項目一つ一つに関してあまり細かいと、本体である入りを厳しくする法律としての成立が危うい、そういう事であって、だからと何にでも使っていい、あるいは名目と内容が大きく異なっていい、そういう事ではないはずだ。

特に、政治家の個人としての出費を政治資金で賄うのは政治資金規正法での出費名目が制限されていない、そういう事を利用して行ってよい、そんな事は市民の誰もが思わないし許容しないはずだ。

つまり法律に書かれていないから、やっても良いとか、法に触れないからごまかしていい、そんな基準で考えたり、やるような人物が、そもそも政治家になること自体がおかしいのだ。

役得、あるいは、その地位を利用して個人の利益を図る、そういう考えの人物がなってはいけない職業が公務員であり、政治家なのだ。

それを叩いてホコリの出ない政治家などいない、だから政治資金規正法の話をあまり出すなとか、うるさく言うなというのは、論点が異なる。

政治資金規正法に一事が万事、記述すること自体大変だし、やれという方が無理だろう。だが、逆に、書いていないからこそ、良識をもって判断、行動してほしい、そういう事ではないのか。

政党交付金を受け取っていない政治家もいるが、多くの国会議員は政党交付金という政治活動のための国民から負託された税金を交付されている。それは政治家が個人の蓄財のために交付されているのではなく、国民のための政治活動にかかる費用として交付されている。

こういう事を全く理解できない人物、それが今のほとんどの政治家なのだとしたら、そういう政治家、全員辞めてほしい。法律に書かれていなければ何でもやっていい、そのような良識のない政治家を我々庶民の代表に選ぶ気はないし、そんなくだらない連中が税金から俸給を得てよいのだろうか。

国家財政が苦しい、そう言っているときに、舛添要一氏のような政治資金での財テクまがいの美術品購入がまかり通るなど、庶民には信じられない話だと思う。立つ鳥後を濁す、そういう事であってはならないと思うのだが、彼は最後まで自公という政党しか見ていなかったように思う。

では、その自公を含めて国会議員はどうかというと、議員も痛みを伴う改革をするという、訳の分からない話の中、議員定数削減(こんなもの改革でも何でもない)などと言うほとんど何もしない話や、歳費の大幅な削減もせずに、庶民がうらやましがるような待遇で庶民を睥睨している。

その国の民意を図るには議員を見ればわかるという意味では、日本人は大バカなんだろう、そう思う。

「お代官様,なんでこんなに年貢が厳しいのかのう」米のご飯をお粥にして食いつないでいる農民が年貢について訴えても
「お上の米蔵が空っぽなんだから、お前たちがもっと年貢を納めるのは当然の話だ」そう答えるだけで、自分たちは贅沢な暮らしをしている代官や役人たち。

極端な例かもしれないが、側面から見れば日本はこんな国かもしれない。世襲の支配者と黙って税金を納める庶民。こういう構図が見えない日本人は政治というものの本質がわかっていない。

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