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義援金 [所感]

町内会から熊本への義援金の募金の案内が回ってきた。最低額300円以上でお願いしますとのことだったが、東日本大震災への義援金のことを考えて、その半額を町内会に支払い、別途、顔も知らない親戚に東日本大震災でねん出した相当額を払うことになった。

その町内会の分、徴収に来た担当者が、「こんなに? これじゃ困る」そう言ったが、気持ちはわかる。今時、毎日の生活に四苦八苦している身としては、助けられるものならばそうしたいが、我が身の生活を無視してまでは出せない、そういう事だろう。

いや、我が家だって、分不相応の額を出しているのだ。私が実家にいなかった神戸大震災の時、贅沢とは無縁の暮らしをしていた両親は十数万円の義援金を出したらしい。父親が亡くなり、母親の寡婦年金で暮らす状態になった今でも、困っている人にはできるだけのことをしよう、という事なのだ。

いやいや他人のためではない。情けは人の為ならず、である。
私が冤罪で罪を被せられた、という事案も、私の情けが仇となった、その事、母親も十分に認識し、また、父親が生きているときのようには自由になる金がない、その事がわかっていてさえ、町内会の義援金徴収者が自分の考えてきた金額と差がありすぎる、そういうことだったらしいが、それは個人個人事情も異なるし、自分が分相応、そう思うところで出せばいいのだと思う。

我が家は分相応という考え方ではなく、困っている人にはできるだけのことをしたい、そういう考えでの行動だが、しかし、情けは人の為ならずとは、皆がそういうことを理解し、情けを持っていて初めて意味のあることになるのであって、屑警官や下司の検察官、裁判官に世の仕組みが崩されている現代社会では、全く意味のない言葉になっているのではないか、そう思っている。

しかし現実に困っている人たちが熊本にはいるので、些少ながら気持ちが生きてくれればいいと思うのだが、自然災害という意味では日本列島に住む限り他人事ではない。その限りにおいて情けは人の為ならずである。

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