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裁判絡みで2点ほど [所感]

一点目。
私が支援者の一人の紹介で控訴審を戦ってくれる弁護人として依頼に行った人物。その人物が裁判員裁判には批判的だという事、知っていたが、私の事案のカテゴリーでは高名であるとの評判もあって、一応紹介されたので依頼に行った時の出来事。

「あんた、有罪だ。私だったら絶対あんたを有罪にする」こう、のたもうた。
でっち上げ、恣意的判決、そのように判決文について言っているのに、依頼人を全く無視して上から目線でこの人物言ったのだ。

おおよそ、依頼人がどのようなこと、どれだけ困って依頼に来ているかとか、そういう想像力の欠片もないどころか、人を悪人呼ばわりしての前述の言葉だったのだ。

一審の弁護団の一人が「裁判官も裁判員制度になってからずいぶんと態度が変わりました」そう言っていた。つまり裁判官だけで有罪無罪を決められず、裁判員の理解を得なければならない。それだけ説得力のある審議をしていかなければならない、そういう事になると、今までのふんぞり返った態度では裁判が進んで行かない、そういう事で裁判官の態度が改まってきた、そう言ったのだ。

ところが件の人物は、所詮、素人集団が裁判のことなど分かるはずもない、そう切り捨てて、専門家である裁判官以外が判決に関与するなど問題だ、そういう立場で裁判員裁判制度には反対している。

私の事案は裁判員裁判であれば栗田健一のような屑が裁判官であっても有罪になることなどあり得ない事案だったのだが…。

さて、ではこの専門家である事を自認している弁護士、私の事案について何と言ったか。
私が相手は私の車の前方になどいなかった、そう言ったのを「人間は後でも見えるんだ」
言うに事欠いてとんでも無いことを言ったのだ。

自分が決めつけた事象と違う事を指摘されて自分を正当化せんがための言い分である。こんな奴、弁護士でも何でもない、それがその言葉を聞いての私の感想である。事実に基づいて被告人の利益を図る、これが社会正義の実現という弁護士法に基づく弁護活動の基本だ。

そういう基本さえ理解できない奴が高名な弁護士などとは弁護士のレベルが知れようというものである。
そこまで強弁するならば、前方に横断歩道のある道路で、前方を注意しながら、車よりも高速で斜め後から突っ込んでくる自転車を回避できる事を自分自身で証明してみろ!

私から言わせればこんな屑が弁護士会の会長選に出る事、不思議でしょうがないのだがまあ、弁護士諸氏が妥当な結論を出すとは思う。

2点目。
さて、そういう裁判絡みでまたしても冤罪。つまりこの国では冤罪など当たり前に作られていること国民がもっと認識して司法制度を変えなければならない。

私の事案でも調書は警官が作成している。その内容に車には全く存在しない損傷が生じる事象が書かれている。つまりでっち上げだ。でっち上げはでっち上げで、警官が事件を作り上げている証拠となる。ところが裁判官という人種、どうしてそういう事には目をつぶるかねえ。

調書の内容が物証と違えば、それこそおかしい。ちゃんと物証を裏付ける内容の調書を作成できなければ捜査能力がない、そういう事になる、そういう意味では今の警官は全員捜査能力などないので首。つまり警官としての職務は解いた方がいい。

警官が勝手に書いた調書で、訴追内容が、そういうでたらめなことを元に起訴されたものだという証拠になる、そう主張しても、裁判官という人種、被告人が言う事を変えたから、そういう主張を変える人間は信用ならない、そう決めつける。

私からすると裁判官全員集めても私よりも嘘を言わない人間はいない、そう思うくらいやる事が姑息だ。有罪にしなければ自身の経歴に傷がつくという保身優先の態度を見れば裁判官に求められる資質などあり得ない事明白だ。

調書と物証が異なって、事実はこうだ、そう被告人が言うと、現物を見てから言う事を変えた、そう決めつける裁判官。しかし、物証と違う証言など信用できないという見方の方が自然ではないだろうか。物証と合う証言こそ、合理性がある、そうなるのではないだろうか。

だいたい物証を見てから言う事を変えたなどと言っても、その場凌ぎの証言などすぐに破綻するのではないだろうか。ところが破綻しないので、信用ならないなどという言葉で否定してしまう。よっぽど裁判官という人種、自分たちの嘘や誤魔化しが通用すると思うらしいが、科学の時代にその科学を理解できない自分たちがどれだけ馬鹿なのか、自分たちでは分かっていないらしい。

前置きが長くなったが、またしても鹿児島県警、やらかしてくれている。自分たちに都合の悪い証拠物件は捨てたり隠しているらしい。おおよそ人の人生を左右しかねない証拠類を紛失とか破棄などするようなこと重大違反として重罪に問われなければこういう事案はなくならない。

私の事案は交通事故で自爆してきた人物を助けようとした、この部分が抜け落ちて、単に言い逃れをしている人物として私は地域社会でもバッシングを受けているが、鹿児島の件は強姦罪という破廉恥事件であり、そのバッシングは私の事案など及びもしない大変なものだと思う。

幸い、御両親が信じて支えてくれたそうだが、私など古くからの友人知人などから、「相手に済まないと思わないのか」「反省する気持ちはないのか」等バッシングを受けて多くの人物が去っていったが、さて、冤罪が晴れたとしてこの被疑者、以前のように友人知人と関係修復できるかと言えば、そうはならないだろう。

警察発表や新聞紙に住所氏名が載るとまず、犯人と決めつけられて、当人の言い分など全く無視。冤罪が晴れてもそれが遡って新聞紙上で訂正されることもない。

ついでに言えば、警察もだが、検察、裁判所も全く反省がないどころか冤罪を無くすと言うより自分たちのガードを固める動きが最優先。決して縄付きが出ないことでも明らか。

しかし、こういう事当たり前になっている現在、冤罪など発覚しないとか、無実の人間を罪に落としてもたかが知れている、そういう感覚で、今日も司直連中は国民を下に見ている。
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