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法の精神 [司法]

小学生の時に怖い思いをした事がある。
私は転校生だったが、学校にも地域にももうなじんでいまさら転校生だからという理由でいじめを受ける対象だったとは思わない。もしいじめを受けるとしたら、それこそ周囲の生徒にこそ受けるのであって、全く関係ない生徒達にやられる事はおかしいからである。

相手は私の近所とは言えない地域に住む小学校六年生数人で、私はまだ小学校一年生。たまたま放課後、何かの用事ですぐには下校できずに帰りかけたところでその連中に捕まった。理由はわからないが、どこかに連れて行こうと数人で取り囲んで私の両手とも掴まれた。そして5,6メートルは引きずられたであろうか。

小学一年生からすると六年生は大人並みである。しかも複数。両手をもたれて引きずられながら、何故、そういう事をするのか、理由はわからなかったが、いい事であるわけはない。小さい子供を捕まえて弱いものいじめがせいぜいだろうが、やられる方はたまったものではない。残念ながら周囲には助けを求めようにも人がいない。

こちらも必死だった。思い切り抵抗した。たまたま幸運だったのは小学一年生にしては私が馬鹿力があり、一人だけなら小学六年生にも相撲でも負けないという足腰を両親からもらっていたのだ。結局、強く抵抗した事で、片手がふりほどかれて、すぐにもう一方の手も振りほどけ、何とか逃げる事ができたが、今、思いだしても腹の立つ事だ。

まったく、私と彼らの間に感情的に摩擦が起こるような接触がなかったのに、たまたま放課後にすれ違っただけで、そのような理不尽な行為を受ける事になったが、全く許される事ではないと思う。

話変わるが、サラリーマン時代の事である。
あるプロジェクトに参加していた当時の私の部下だったものが、事前承認を得ないで当日に連絡してきて休んだ事があった。

すると、そのプロジェクトの責任者が怒って、私のところに来て、文句を言った。しかし、仕事に支障がないようにすでに私が手を打っているので、文句を言われる筋合いではない。すると有給休暇についてその人間がこう言ったのである。
「上司の許可がないと休んではいけない。労働基準法に書いてある」

対して私は何と答えたか。
「それは違う。仕事に支障がない限り、上司は許可せざるを得ない。これが有給休暇についての正しい解釈だ」
同じ有給休暇でもこのように人によって解釈が異なるが、私は私の方が正しいと信じている。それは法の持つ精神と言うことで考えた場合、労働基準法の成り立ち自体が労働者保護の精神で作られているからである。

何故、こういう昔の話を引っ張り出してきたか。それは最近私の周りだけでなく、色々ニュース等で聞く話が主従逆転、本末転倒で、人間社会の円滑な運営のために作られたはずの法律がいつの間にか、法が主で、それに人間がひざまずく構図が作られて、法を知ったり、執行する立場の人間が一般人の上にでもいるような感覚が存在するようになり、またそれをおかしいとも思わない人間が増えてきたからである。

その典型の話だが、皆さんは検察官に絶大な権力が与えられている事をご存知だろうか。これは不偏不党、政治権力の介入によって、国民の利益を守るべき検察官が不利益を被って、おかしな判断をしないようにと他の権力の影響を排除するために、わざわざ検察官に絶大な権力を与えているのである。つまり検察官に負託された権力は国民の利益を守る事への代表しての権力の負託であって、国民の上に自らが存在するという意味ではないのである。

これが法の精神というものである。であるにもかかわらず、専門家と称する驕った彼らがその法の精神の何たるかも忘れている。彼らの中だけでそういうものが処理される分には私は何も言わないが、そういう検察官や裁判官が私の生活に関わってきているので、私は憤懣やるかたない思いなのだが、遠い昔の子供時代の馬鹿な事をやった悪ガキを思いだしたという次第。日本の司法関係者はせいぜいがその程度だという事だ。
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