SSブログ

原子力発電所の設計思想 [社会]

皆さん、設計思想という言葉があることご存知だろうか?

文系出身者でも製造業に携わる人なら聞いたことがあるかも知れないし、理系出身者でも聞いたことはあっても具体的にどういうものを指すのか、知らない人も多いかも知れない。

その昔は、機能優先という事で設計思想に安全などという考えは一部、石油あるいは石油化学プラントのように機器の故障が火災やプラントの生死に関わるような重大事故に繋がるようなものを除いて考慮さえされていなかったように思う。

”思う”というのは、私が知る製品類でそういう話をついぞ聞いたことがなかったためである。いや、車も例外か。日本が遅れている、そういう指摘のあった時期、ボルボやドイツ車などは、しっかりとした思想があったように思う。だが、日本人として見た場合、車も断言できるほどの安全面の設計があったとは言えないのははっきりしている。

清涼飲料の配達のアルバイトをしていた時に、アメリカ車が駐車していて、仕事そっちのけで、配送の社員が、さすがアメ車はスピードが出る分、ごっついなあ、そう言って、所有者がいない事を幸いにドアを開けてその分厚さなど感心していたが、厚さだけで20cmは優にあろうというドアに圧倒されたものだ。

さて、本論に戻るが、原子力工学の専門家達は原発建設の御用学者になるのが、そのエリートコースのようになっており、原発建設の是非をテレビ討論などで発言する場合も、反対派を、何も知らない素人として、丁寧な説明無しに鼻でせせら笑っていたシーンが記憶に残っているのだが、さて、彼らの設計思想は何だったのだろうか、そういう疑問が事故の起こった後、私には思われてならないのだが、どうなのだろうか。

ホリエモンは想定内、という言葉で多くの岐路を乗り切る自信を示したが、想定外は彼の部下であったはずの連中の裏切りと検察や裁判所の、法の解釈の変更という既存の法律の適用による違法行為と決めつけられたものだったのではないだろうか。

しかし、こういうもの、人為的な対応で有罪無罪が分かれてしまうというたいしたものではないのだが、原発は事故もそして、事故でなくてもその放射性廃棄物という人間が制御するには厄介なもの、これらについて全く見通しのないもの、見切り発車をしただけに過ぎない設備だが、結論からいえば設計思想があったとは言えない代物である。

被ると窒息する危険性があります等家電製品や玩具類の入っている箱等に製品の入っているビニル袋でさえ、そのように警告として消費者向けに出しているのが今の、消費者向けの製品である。消費者の取り扱いようによっては、製品本体ではなく、付属品や包装目的のものにでさえ消費者に警告している。だが、自らが消費者に害を与えるものとか、可能性があるなどという事はうたっていない。

ところが原発は、その立地住民がどれだけ気をつけていようが、一度事故が起これば、私は原発に関与していない、などと周辺住民が言おうが言うまいが、その放射能に害を及ぼされる。

ここに想定外などという言葉は通用しない。
福島原発の事故について東電の関係者を告発した件について、検察は、東電関係者を不起訴としている。だが、前述のように想定外などという逃げ文句の通用する設備ではない。想定外を持ち出した時点でその商品だったり設備は破綻しているし、設計思想などという高尚なもの、存在していなかったと言えるのだが、果たして原発関係者及び御用学者達のどれだけが、設計の根幹を理解しているだろうか。

人間が制御できない対象について設計思想などというものは存在しないのだが、どうも一部御用学者達には、そういう事理解できていなかった節がある。
その理解できていない人物達の作り上げた設備を稼動させるのはいかがなものか、そう思うのだが、次に事故が起こっても想定外と逃れるのだろうか。
nice!(18)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 18

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。