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改めて。情けは人の為ならず。 [社会]

以前のブログにも“情けは人の為ならず”と書いたが、貴乃花問題を絡めて改めて。

育った環境など人には色々あるので、こうでないといけない、などという気はない。ただ、私は四横綱揃い踏みを楽しみにしていた口だったので、それが叶わなくなった腹いせも含めて、独善的にこの問題を述べたい。

外国に出ると文化や生活習慣など全く異なる民族との接触により、誤解も含めて摩擦が生じることは多い。場合によっては命にかかわるようなこともある。
単に移動するだけのタクシーが強盗の場になったり、普通に日本で生活する感覚とは違う国も多い。そういう体験を何度もしていると、日馬富士の暴行問題も、怪我をさせたのは悪いことかもしれないが、私などからすると視点が違ってしまい、モンゴルのような国で育っていたら、あまり細かい事を気にしていたら、厳しい自然の中で生きていけないとか、そういう事になるので、日本人とは、あの程度の暴行への感覚の違いがあるのではないだろうか、貴乃花の執拗な日馬富士の刑事訴追や協会批判などは、かえって現地、モンゴルの人たちには違和感の方ばかり残るのではないか、と思っている。
実は、今から二十数年前、アジア諸国のあちこちで、いわゆるカラオケラウンジというところを利用する機会(ほとんどのケースで自身の遊興というよりは、取引先の人間の遊興の口実として接待される場合が多かった)があって、当時、韓国企業が肩で風を切るようにあちこち荒らしまわっており、カラオケラウンジの女性たちが、彼ら韓国人たちの悪口を言っていた。つまり、ただでさえ粗暴な韓国人が、酒が入ってさらにテンションが上がると、全く、セーブが効かなくなり、力任せに彼女たちホステスを思い切り叩くので、痛いし、あちこち痣ができるのだという。だから韓国人の客が来ると、本当に嫌なので、先に日本人の客が入ってくれると嬉しい(社交辞令もあるとは思う)と言う。
韓国人自身だって、そういう自分たちの風評が、耳に入らないはずはないのだが、遊興の席での粗暴さが収まったとは聞いていない。察するに、その程度は彼ら自身には暴行とか暴力とか、そのような認識の範疇ではないのではないだろうか。モンゴル人のケースはさらにその内容がもう少し過激であっても、事細かく問題にするレベルではないのかもしれない。
もちろん、何針も縫うような怪我をさせた事は決して許される事ではないかもしれない。しかし、貴ノ岩は叩かれて気を失っていたとかいうわけでもなく、(何故、誰も止めないのか、止めてくれないのか、出身校の知り合いもいる満座の中で一方的に叩かれて恥ずかしい)とか体裁を気にする余裕もあったのだ。問うに落ちず語るに落ちるであって、何故、貴乃花が日馬富士の暴行問題を、殊更、暴行された貴ノ岩の症状を重症化させて語ったのか、その意図からして、私には違和感しか覚えなかった。テレビ桟敷でさえ、立ち合いの力士同士の頭同士の当たった音が聞こえてくるのに、手やリモコンなどのおおよそ全体重をかけたとはいいがたいほどの軽い質量のものでの叩き程度が問題になるような力士の育て方をするなら、親方辞めたら? その被害について大げさに騒ぎ過ぎたことは子供でも分かる話だと思う。
もちろん、この見立てに対して異議のある人は大勢いるだろう。それを承知で書いているのだが、この暴行事件で、暴力を振るったという事実があっても一番男だったのは、日馬富士、そういう気がしてならないのだ。私は自分自身が、そうではないと思いながらも、実は、私が同じような暴力に訴えるタイプの人間だからかもしれない、という危惧はあるが。
貴乃花の思惑は別として、ここでの問題は、パワハラの一部であった、そういう事の認識なのだと思う。喧嘩という事ではなく、横綱が言葉にしろ腕力にしろ、下のものに向かって何らか行動を起こせば、逆らう事はできない、そういうものまで地位のある人間は認識しておかなければならない、そういう事だろうか。
そういう意味で、日馬富士が自身の暴行を感情に任せた面は悪いという事になるのだろう。だが、一度は白鵬と言い争いになっても貴ノ岩をかばった日馬富士が、最初から貴ノ岩に悪意を持っていたという事ではないし、また、だからと白鵬を敵対視するわけでもなく、たとえ年下でも優勝回数の多い大横綱である白鵬に対しての礼も示している日馬富士が、自分がそのような礼を示すほどの白鵬に対しての貴ノ岩の態度に思わず感情がむき出しになるほどの怒りを持ったことについて、やったこと自体は悪いとしても、事の良しあしで、対応しようとした、その考え、礼節は悪くはないのではないか、という事である。
結局、事態を刑事事件、さらには日馬富士引退後の相撲協会に残れるかどうかの民事訴訟にまで持ち込まれた日馬富士が、自身の行動を、その後、強く主張できなくなってしまい、被害者及び被害者側という錦の御旗で、貴ノ岩が、全く悪くない、あるいは何の落ち度もない、そういう事になってしまったが、、その辺は、貴乃花はずるい、そういう事になる。刑事訴追に持ち込めば、事の発端、経緯がどうあれ、手を出した方が悪い、そういう事になってしまうので、それならば、いい加減な事を言ったり口から出まかせで、摩擦の生じることを起こした本人は、ほくそ笑む、そういうものになってしまうだろう。今回の事案も結局、日馬富士を引退に持ち込んだ、その事、その意図の裏に隠された政治的思惑が、貴乃花のいやらしさを表していると思えてならない。
自身が巡業部長であるならば、興行の成功や、入りなど気になる筈だと思う。協会員としても横綱が協会の看板である事、熟知していなければならないところ、逆に自身が、その横綱を引退に追い込むどころか刑事訴追という汚点にもっていくのだから、何をか況やなのである。
禍根や恨みを残さないようにするならば、まずは、しっかりと貴ノ岩から事情を聴取し、相手方の日馬富士、伊勢ケ浜親方と話し合って、事実関係を糺して、双方が納得しそれが相撲協会の考えに沿うようにしてこそ、再発防止策、あるいは今後の相撲協会の発展につながっていく、そういう事だろうし、それだけの度量を見せることが自身の考えに賛同する親方を増やし、自分の考える方向への相撲協会のかじ取りに繋がっていくのではないか、と思う。個人バッシングではないが、貴乃花親方を買っていた北の湖は理事長時代、テレビカメラに笑顔を向けることはほぼ皆無であり、各種問題発覚後でも事情説明どころかぶすっとした顔をファンに向ける事しかせず、ほとんど改革らしきものを見せたことがなかった。そういう理事長に買われていた貴乃花が“改革”と言っても一般の人には全く内容が分からない。
話を戻すが、情けをかけることは、相手の為にならない、などというものではなく、その情け自体が回りまわって自分にも戻ってくることもある、すなわち、情けのある社会こそが、弱者にやさしい社会であると思うのだがどうなのだろうか。
私など、このブログで偉そうにしかも過激に色々攻撃しているが、生きていること自体で相当の業を積んでしまっている事、自身では認識しているつもりである。だいたい、他の命を引き換えに我々は生きているのだから、それを考えればできるだけ業を積まないよう、情けを掛けられるものにはできるだけ掛ける、それが自分自身生きやすい社会のもとになる、そういう事ではないだろうか。
協会の看板を屠ったくせに、自分のところで暴行問題が起きたら、弟子を相撲が取れないようにはしないでくれとか、色々、言っていたが、暴行問題での日馬富士やその親方の苦悩をどう見たのか。ダブルスタンダードを自身がやっては、相撲道なるもの、全く説得力に欠けるというものである。
結局、北の湖理事長の次は自分だと思っていた、その貴乃花がそのまま理事長にならなくてよかった、それが日馬富士暴行問題以降の世間の認識になってしまったのではないだろうか。
まあ、人間はそういう失敗から色々学ぶというものだと思うが、生きている限り日々、業を重ねている事を意識していれば、情けは人の為ならずという事も理解でき、ダブルスタンダードとか自分の時だけ勝手な事を言ったりしたりする、と陰口をたたかれることもなくなる。つまり失敗で学ぶという事であってさえ、取り返しのつかないようなところまではいかない、そういう事になると思う。
今回はからずも、自身が思惑を押し通す事をやった、その口実の出来事が災難として貴乃花自身に降りかかったわけだが、我々市民はそういう事を気に掛けながら日々生きているものだと思う。八角理事長も相撲協会も今回大人の対応をしたと思うが、“情け”のない仕事ぶりをしている役人の社会が、やがて日本のいい文化を失くして不毛の社会を作ろうとしていはしまいか、それが気になっている。いや、私自身も、情けが仇となって、自身いわれのない罪に落とされたのだが、周囲から、情けが仇となった、この国では、情けは通用しない、そう言われ、嫌な社会をくそ官僚たちが作っているなあ、そう感じている次第。

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女性の活躍、素直には喜べない。 [社会]

外国特派員協会での民進党の蓮舫議員の「本当につまらない男です」なる話、話題にされた岡田代表も併せて、私は、好きですねえ、こういう話。蓮舫議員は後で岡田氏に謝罪を入れたらしいですが、できれば謝罪なしで、阿吽で伝わるくらいの関係があったら、そう思います。

その報道の前に、蓮舫議員があるテレビ番組に出ていました、なかなか歯切れがいい。あまり歯切れがいいと舌禍につながるのだが、最近、子供が多くて、趣旨が伝わらず、どうでもいいことを取り上げて騒ぐ傾向があり、そういう事の方が気になるが、それでもあのサービス精神と切り込む歯切れの良さが発揮されればと思う。

また、小池都知事。既存政党を相手に海千山千。たいしたものだと思う。生半可な心構えでは彼女に勝てないと思うが、敵役だった自民党都連会長の石原伸晃の情けなさ、これがあの傲岸な慎太郎の息子かと思う人間の小ささ。

小池都知事は、選挙戦略だったかもしれないが、本来の都民のための都政という観点で暗部を表に出す言動をしているが、これ、増田寛也だったらどうだろうか。男の方が腹を括る覚悟に欠けている、これが今の日本の政治の問題点かもしれない。

待機児童問題で「保育園落ちた、日本死ね」のブログで一石を投じた主婦に対して自民党の平沢勝栄議員は、日本語が汚い、乱暴だなどと本末転倒の事ばかりを出演したテレビ番組の中で言い張っていたが、これじゃ、議員に期待するものなど何もない、そう思わせた。末節は後で少し触れるだけでいい。本質について、政治の問題点から発言すべきだった。

また、築地から豊洲への市場移転問題、今、色々騒いでいるが、石原慎太郎や舛添要一が、豊洲に足を運んだり、ちょっとプラント市場関係者と意見交換すれば、貴重な都民の税金が浪費されることなく済んだのではないだろうか。

前述両者の間には道路公団民営化で実績があると自認する猪瀬直樹氏がいたのだが、同じ課題を抱えていたことで比較すると、小池都知事の方が、しっかり問題をあぶりだしただけ有能に見える。結果がどうあれ、切り込んでいる小池都知事は、それだけでも大したものだと思う。

こういう人たちを見ていると、女性が活躍するのも悪くはないか、そう思う。

だが、私個人として、苦々しく思う女性たちがいることも確かなのだ。
私を訴追した悪党の大谷貴光という副検事。副検事という肩書からもわかるように、人を説得したり、事実関係を究明する能力などありゃあしない。

いや、副検事という職についている人物皆がそうではない、そういう意見もあるし、そうであって欲しい、そういう思いもあるが、副検事なる職についている人物については、だいたい、丸暴、つまり暴力団と同じで、脅しなどで、強引に罪に落とす、これが定石なのだという。そして、代々、そういうものを学んで副検事という職に就く人間は、脅したり恫喝して容疑者に罪を認めさせる、そういうことをやっているそうだ。

そういう事で、私の事案でも「あの副検事はバカだから、この裁判に対応できずに、担当が検事に代わった」そう弁護士が言ったように、検察官が代わって、副検事から藤井順子という若い女の検事に代わった。

しかし、前任者の杜撰、でっち上げの調書など見直しをせずに、検察は間違わないという看板をしょったかのような間違った内容の話を参考人に問い詰めたり、とんでもない人物であった。このことは以前にも書いたが、わかりやすく言えば例えば、加速度αと速度sとではどちらが大きいか? などと言われても、単位が違えば、比較することが間違いなのだが、それを指摘しても”見解の相違”こう強弁した。

皆さんお分かりだと思うが、定常速度100km/hの電車に乗っていても加減速がなければ、人はつり革などに掴まらなくても容易に立っていられる。その時加速度は0。だが、電車が減速しだすと、電車内の人には慣性の法則で力が加わり、何かに掴まらなければ立っていられない。これは速度がゼロに近いところでも大きな減速が起これば、変わらない。

単位系でcgsとかMKSとかそういうものを合わせて絶対値的数字のみで比較しても上記のように、数字だけの比較は逆転する。だから見解の相違などと、比較もできないものを自身が間違っていることを認めずに強弁するような、事実に基づかない話を真摯に受け止められないような人物が検事などやっていること自体おかしいのだ。

この人物、間違いはこれだけではなく、山ほど間違っているが、どれもこれも検察という組織を守るためだけの仕事をしているようにしか見えなかった。

同様に、裁判官にも片手分の人数の女性裁判官が関わっただろうか。常識的に、判断できる、つまりふつうに検察の訴追について疑問が残る、そういうものを私は上程しているのだが、これも裁判所という権威優先、保持のためとしか思えない、つまり彼らの顔が見えない裁判業務しか行っていない。

おかしければおかしい、間違いは間違い、そう認める姿勢がたとえ女でも役人や官僚であっても、ましてや検察官あるいは裁判官という職業ならもっと必要なのではないだろうか。彼らは組織のために存在するのではなく国民社会の円滑な運用上存在している、そういう事すら認識できずに、ひたすら前任者の馬鹿な訴追を継続しようとしたり、裁判長の顔色を見る仕事しかしていない。

そういう女性が大きな顔をして権力を振りかざしている現実がある事も皆さんには知って欲しいと思う。

ついでに書いておくが、私は時速35キロで車を運転中に前方のガードマンとやらにわき見して漫然と走行し、前方横断歩道横断中の自転車乗員に自車(乗用車)右前部を衝突させて重傷を負わせた、として逮捕され、異例と言われるほどの長い留置をされた人間なのだが、この起訴内容、おかしいと思える人はどれだけいるだろうか。

まず頭で考えて、そして現物を見る。小池都知事はやっていますね。それだけで藤井順子という馬鹿検事とは違いますね。

前方に車が突っ込んでいって車の前部でなく車の右前部をぶつけられる人がいたらお目にかかりたいもの。漫然と走行していたという事ですから、ドリフト走行などしているわけではない、そう認めているのも同じ起訴状なのですがね。

まあ、この馬鹿、性悪という修飾語ばかりがつく司法関係者たちの悪行については、また、書き連ねますが、この中に、多くの女性が混じっているという事も現実、そう言いたかった、そういう事です。

決して女性だからとかいう事ではなく、本人の覚悟、資質だと思います。ただ、男が相対的に落ちてきている、それも否めませんやね、お粗末様。

公私混同、その2 [社会]

現都知事である舛添要一氏が炎上しつつあるが、果たしてその結末がどうなるか、というところも本人の本質がどのように出るか、影響するところも大きいかと思う。

別に関心をもって見るわけではないが、多くの報道系番組で取り上げられるので目にも耳にも入ってきてしまうのだが、ヤメ検の住田弁護士の言葉が言いえている、と思う。曰く、もともとの本質が色々と出てきてしまっているのではないか、と。つまり大名行列のようなそれも高額のホテル・飛行機代を使っての海外出張。そして公用車使用の私物化。遡っての私的費用への政務活動費の流用。

もっとも前都知事であった人物が、週末に公用車の使用は問題にならないが、ルールを明確にしないで都を離れているのが問題、そのように発言していた、そこのところの金銭感覚が、前都知事も現都知事も根っこは同じ気がする。こんな人物しか都知事にはならないのだろうか。いや、都民の劣化も激しい、そういう事か。

前都知事は道路公団分割民営化に功があったとして名を挙げた人物だが、私は、そんなもの決して功があったとは思っていない。この辺も人によりけりというか、皆さんの評価が随分と甘い、そう思っている。

高速道路、別名有料道路はもともと、投資額が回収されたら無料化する、そういう約束の元に、利用者から料金徴収してきたが、首都高速などは、とっくの昔に投資金額を回収したはずであるのにとうとう無料化しなかった。

そりゃそうだろう、無料化などとやれば、料金徴収等から数珠つなぎになる人件費の発生意義がなくなるから、天下り団体となりえない。せっかくETCやDSRCなるものまで導入して天下り団体の意義を出すようにしているのに無料化されては天下り先を確保してきた役人が困るのだ。

 結局、官僚の書いた筋書き通りに事を運んで行った、いや、分割した分、ポストの数が増えたので、その分、官僚には受けが良い、そういう事だろうか。だから都知事を辞めることになった事由について、逮捕するような内容ではない事でも逮捕する検察が動かなかった、そういう事だろう。

 小泉純一郎という人物、自民党にも官僚にもしがらみがない、そういう本人の思い込みで官僚の大きな天下り先である道路公団を潰すべき政策をとったつもりだったが、何のことはない、終わってみれば天下りポストが増えただけ、そういう事なのだが、それでも都民の皆さんが何か勘違いするものがあったのだろう。だからこそ猪瀬直樹氏は都知事選に400万票を超す歴史的得票で大勝したのだが、その前都知事と本質部分で共通項のありそうな現知事が前知事が辞職したのと似た金銭感覚の持ち主であってもこのまま居座れるだろうか。

 私のサラリーマン時代、取引先の人物が色々と接待してくれた。いや、私自身は自分の金での飲食や遊興にも制限をかけていたほど自律していた人間なので、他人の金でそういう事、よしとは思わなかったのでだいたいは断っていた。

 ところがある日、「たまには受けてください、でないと我々も遊べないんです」そのようによく誘ってきた人物に言われた。複数の同僚からも、うーさんが行かないと我々も遊べないんだ、そのように言われた。

もともとの感覚が違うのである。他人の金で飲食したり遊んだりして後ろめたい気がしないのだろうか、そのように思うのだが、そういう役得のある職に就いたのだから利用しない手はないとか、そういうことだろうか。

私は仕事の中身では妥協をしない厳しい仕事ぶりで、周囲にも取引先にも厳しい姿勢を示していたので、どこかで弛緩部分を作らないといけないと思い、自分だけではない時だけ、接待を受けるようにした。

 ところが、卑しい人間とは、本当に卑しいもので私が日常的に接待を受けているように陰口を聞いていたらしい。

 そういう事を考えると、いっそこういうようにした方がいい、そういうものを見せてくれる上司がいた。

取引先への宿泊出張の時、朝一で相手企業に入る場合、前泊の、その夜はだいたい相手企業の接待が行われる。

 ところが、私のいた事業部の責任者、つまり事業部長は相手企業にいつ、どこに宿泊するとかいう情報を一切与えず、自分たちだけで夕食をとって打ち合わせとも言えないような簡単な話と語らいをして、翌朝、相手企業に赴いたのだが、だからと私は何の不満も感じなかった。

 そういうやり方をしていれば、そんなものかと相手企業の接待を期待しないで済む上司、同僚、部下が周囲に増えてくるのではないか、そう思ったが、あにはからんや、工場建設で建築請負の企業の接待を期待した連中に集団で陥れられた事がある。

予算を握っている私抜きでは接待を受けられない。かと言って、土建業の接待のうまみを契約時に知ってしまって、その魅力からは逃れられない。結局、接待など眼中になく仕事の中身にのみ関心のある私が邪魔と、それぞれ思惑のある連中で自分たちでも担当できるからうーさんのような有能な人は、より先端の技術開発に集中するべきと、事業部長に進言したのだ。

そういうやましい心とは無縁の事業部長は、それもそうかと、同意したらしいのだが、まあ、人間とはさもしいものだと思う。

よく、お里が知れると言うが、これも出生による差別的な内容なので使いたくもないが、しかし、そういう人間ばかり見ていると、さもありなん、そういう気になってくる。
私の中では出生に限らず卑しい人間は卑しい、そう思っているが、まあ、育った環境に左右される弱さというものが人間にはあるので、残念な事ではある。

しかし、人間には学ぶ力、能力があるので、出生がすべてとは言えない。逆に裕福な家庭あるいは良家の血筋に生まれて他人を見下すという人物も多い。

結局、本当に頭のいい人物は、人とか社会とかそういう事をよく理解できる人なのだと思う。

現知事が頭がいいかのような話をよく聞くが、私にはそう思えない。彼の場合、マスコミに出始めた当初から、さもしさがにじみ出ていた。
本当に頭がいいなら、知事職とか公職あるいは公私というものをよくわきまえ、できるだけ低いコストで都民の満足度を上げる努力をするのではないだろうか。

都民のためにと負託されている税金で、贅沢三昧をしても、少しも気に病まないこと自体で最初から都知事としては失格なのではないでしょうかね。

民間企業でさえ既述のような会社経費にせずに出張時の自分たちの飲食費用を自腹で払ったり、取引先に余計な費用を負担させない人がいる一方で高額な大名旅行を当然と思うような人物が公職についているのだから、なんともはや世間は甘いものだと思う。

反社会的勢力 [社会]

テレビや新聞などの報道が最近は遠回しの言い方をするので対象がぼやけることが時としてある。

一般人や敵対あるいは競合する組織の人間を殺傷する事件などでマスコミが反社会的組織として持ち出すのがいわゆる暴力団である。

暴力団が、なぜ反社会的組織なのかというと、法律や社会のルールを破り、自分たちの構成員あるいは組織の利益を守ることを社会の利益よりも優先する、ということだろうか。

しかし、この構図、何かを連想させないだろうか。

私はこのブログで自身が警察に陥れられ、不当な拘束の上に裁判官たちの保身優先での強引な有罪判決といった体験を何度も紹介しているのだが、似たような経験をしたという人たちも併せて、孤軍奮闘いやいや、(日本、死ね)とも言うべき不当な役人社会への孤独の闘いをしている。

これは一見、少数派である個人が社会への闘いを挑んでいるように見え、その限りにおいては反社会的勢力の一端を担う形であるかもしれない。

さて、いわゆる殺人事件、それも目撃者や確たる証人のいない凶悪事件とされるもの、こういう事件での犯人の決め手としてDNA鑑定を用いるということで全米では、その見直しによって300件以上の冤罪が発覚したという。

日本でも足利事件や布川事件といわれる殺人罪で服役していたり、あるいはした人たちの冤罪が発覚したが、さて、その後、どうなったか。
彼らを陥れた連中は何らお咎めもないまま世間をのさばりまわっている。

法的なものはどうか?
なぜ、という観点もないまま、全く再発防止の制度設計すらされておらず、冤罪被害者はやられ損の状態。

日本でもアメリカで組織された冤罪を晴らす組織がこの4月に発足するということで、私も孤独の闘いをしている身なので、自身の濡れ衣を晴らすことも併せて実体験から協力することを申し出ようと接触を図った。

するとメールで返信が来たのだが、多数の打診があり、しばらくお待ちください、という内容。そのしばらくがどのくらいになるかわからないが、以前、弁護士の紹介で冤罪被害への協力依頼をした弁護士会の方などもう3年になるだろうか。

これは体験した人でなければ分からない事だが、星の数ほどあるのではないだろうか、そう思われるのが冤罪である。これほどの冤罪を生んでいる組織、反社会的組織と言わずして、なんと言おうか。

冒頭の部分で書いた、社会の利益よりも組織や組織の構成員の利益を優先する反社会的行為を行う組織が、反社会的勢力と呼ぶのならば、これだけの冤罪を生んでいながら厚顔無恥、知らん顔をして反省の色もないもない、これらの組織こそが反社会的勢力そのものではないか。

つまり反社会的組織などと暴力団等に対峙する正義の味方のようにしている体制側の警察、検察、裁判所こそが実は、法を破り(実際彼らのやることは本当にひどいものであるのに、刑務所に入らないなどというふざけたこと、体制側である、たったそれだけの理由で免罪となっている)社会の利益よりも自分たちの利益を優先させている反社会的組織なのだ。

暴力団構成員はいわゆるリスクをしょって暴力団員として活動しているのだが、警官、検察官、裁判官は国民の血税である税金で養われていながら、その国民を食い物にしている分、タチが悪い。

正直者が損をする?! [社会]

春先にパソコンを買い替えたのだが、同時に車の定期点検を機にドライブレコーダーをディーラーにつけてもらった。

車の購入時に、ディーラーの担当者には私の交通事故による冤罪事件の概略を話して、物証があってさえ、でっち上げで加害者にされるのだから、ドライブレコーダーがあっても、意味はないかもしれないが、科学の弱いおバカな司法連中が言い逃れできない映像ということもあり得るので、着けたい、そう言っていたもの、車が特殊なので、純正が出るまで待ってほしい、そう言われて、車の購入から2年経っての装着となった。

いや、必要に駆られて、そう言ったほうがいいかもしれない。
私の住む地域の交通事情、特に自転車の走行は無法以外の何ものでもない。加えて、交通ルールを勘違いしている車の運転者もいる。以前にもまして危うい場面に遭遇することが多くなった、そう言ったほうがいいだろうか。

さらに言えば、福井地裁で下った判決(中央線を越えて衝突してきた車の助手席に乗っていて死亡した人物の遺族が相手側の運転手に損害賠償請求裁判を起こして認められるという、社会通念上信じられない判決)のようなおかしな社会になりつつあってさえ、論より証拠、そのようにアピールできるものを持っていなければならない時代になった、そういう事だろうか。

結局、自衛のために、自分が交通法規を無視した運転などしていないどころか、平素から安全運転を心がけている運転者であることを証明してもらうためのものとして正直に生きている人間のほうが余計なコストをかけなければならない社会という事なのだが、これって、本当にあるべき社会だろうか。

この構図を生んでいるのは、驕り腐った裁判官や、自分たちの役割や社会というものを勘違いしている検察他の司法に関わる連中を中心とした役人たちに他ならない。

もっとも研修という名目での、外国人を農業や中小企業の労働に従事させている、あるいは観光立国と称して多くの外国人を受け入れることによる構図から生まれる治安の悪化によるセキュリティーコストなども、ただただ正直に生きてきた人間にとっては、なんだかわからないうちに、周囲に外国語が氾濫、いつの間にか犯罪に巻き込まれるという事態。

これらも結局、自衛ということで金のある人は、家のセキュリティーを警備会社と契約する、そういう余裕のない人は防犯カメラや人感センサー付きの照明あるいはドアの鍵の強化など、余計な生活コストがかかるのだが、だからと、費用をかけたからと、それに見合う収入に結び付くどころか、経年で、付け替えや契約費用が上がるなど、社会としてとても進化したとは言えない気がしている。

外国人労働者を受け入れている人たちや、観光客の増加によって利益を得ている人たちからは我が家にもその一部が回ってきているとはとても言える状況ではないのだが、我が家もぼろ家ゆえに、外国人労働者による殺人事件など受けて、色々セキュリティーの強化に費用がかさみだしている。

全く住みにくい社会になったものである。

女性は弱者か? [社会]

今のような複雑な世の中では通り一辺倒に判断を下す事は危険だと思う。

私の冤罪の事案も相手は女性である。その女性の軽率な行動で私も我が家も大変な目に遭ったのだが、いや、過去形ではない、未だに尾を引いているし、被った金銭的損失、私の人生に大きな影を落としている。

果たして、こういう女性が弱者などと言えるのか、と思うのだが…。

さて、駅のホームで反対側から来る男性サラリーマンに対し、すれ違いざまに肘打ちを食わしてホームから落下させ、怪我をさせたとして女性が逮捕されたニュースが報道されていた。

反撃としての肘打ちは誰も非難しないと思うが、攻撃的に使ったとしたら、それこそ奇襲だから受けた相手が例え男性であったとしても、受けきれるものではないし、けっこうなダメージとなるし言語道断である。

見かけで男性が強く、女性が弱いなどと思わない方がいいと思うのだが、冒頭で述べたように世間では一律に見る人物が多く、そしてそれは女性に多い。いくら男性だといっても病気、それも内臓疾患等に罹患していると外部からの圧力には弱い。

ボクシングにキドニーブロウという腎臓部への攻撃がある。もちろん、反則である。ボクサーのように鍛えた人間でも腎臓部への攻撃は堪えるし、ダメージが残りやすく、命に関わる、そういう部位だからこそ、その部位への攻撃は反則になっている。

ところが、そういう事も知らないで腎臓に尖ったものを当てたり拳の中の中指を高くして腎臓部にぐっと押し込んでくる女性には何度も遭遇している。

いや、私はいつの頃からか石持、すなわち腎臓結石で、特にハードワークが続いた時など腎臓が腫れて普通にさすられる行為であっても顔をしかめるほど痛みを感じるのだが、腎臓結石を経験された方なら腎臓の痛みがどれほど痛いかご存知だと思う。

その腫れた腎臓のところに拳を、それも中指を高くして尖った部分を後から押しつけて自分と私との間に空間をつくろうとする満員電車内でのクソ女に、何度苦しめられたことか。

会社内で責任ある立場であれば、そんなクソ女と関わって時間を無駄にするわけにも行かないと、こちらは満員電車の中でも体をずらすように拳の当たる位置を変えようとするのだが、そういう努力を知ってか知らずか時としてショルダーバッグの角を当ててくるクソ女もいた。

私が利用していた電車は満員で有名なJRの路線だったが、そんな目に遭うくらいだったら空いた車両を利用すればいいのに、そういう声が聞こえてきそうなので、一言、言うと例えば、最後部とか別の車両を利用してさえ満員状態は変わらないという電車内での出来事なのだが。

今回、被害にあったサラリーマンは足の脱臼程度で済んだそうだが、男だから、と一律に殴っても蹴っても無事であるなどと女性陣には思って欲しくないのである。

言い忘れたが私が被害にあった腎臓への圧力に関して、圧倒的に女性が多かったが、一人、60歳前後の人物が手で抱えるタイプのコンパクトな堅いバッグの角を背中側から当ててきたのには閉口した。この人物、周囲に気を払うことができない人物だろう、そう思ったのだが、だからとこういう被害を受けてさえ、私が得意の腕力沙汰に及んだことは一度もない。

腕力を振るえば私が感じる腎臓以上の痛みをそれも長期に渡って与える事になってしまう。これは私が本意とするところではないからだが、しかし、腎臓の痛さ、知らない人には分からないだろう。


安保法制法案強行採決の謝罪 [社会]

たまには、皆さんに謝罪しなければならないこともあるようだが、今回のこれが、それのような気がする。

法案自体については、是々非々、そう言うところもあるという事で、全てにおいて反対、そういう事でもないらしい人達も、反対のデモには参加しているのではないだろうか。

私が私の世代を代表して謝罪しなければならない、そう思うのは、安倍晋三のような政治家が出てくる下地ができてしまうことを放置していた事なのだが。

何回もこのブログでは中国脅威論のようなことを書いている。
日本を取り巻く中国、北朝鮮だけでなく、韓国にしたって、以前、韓国の密漁船を捕らえようと日本の巡視船が追いかけていたところへ、当時の盧武鉉の指示で担当大臣であった、潘基文現国連事務総長が軍鑑を出動させて巡視船に対峙させた事を思えば、日本が思うほど相手側政治姿勢が好意的ではない、という事である。

現に、竹島などは日本が第二次大戦での敗戦で武装解除されて武力と呼べるようなものがない時に、どさくさ紛れで韓国に武力占領されている。

第二次大戦後でさえそういう事があった、その日本周辺で、近年、飛ぶ鳥を落とす勢いの中国が国際法など歯牙にも掛けない横暴振りを示せば、集団安保など有事の際に実効性のある体制を構築しておこうというのは特段、おかしな話ではない。

だが、今回の安倍晋三が持ち出してきたやり方や、口調は、どう見たって私などが好意的に見てはいけない、そういうものを示しているのだ。

三菱マテリアルが戦前アメリカ人捕虜を強制徴用して鉱山で働かせていた事への謝罪をアメリカで行ったというニュースがテレビで流されていたが、日本兵(旧満州や北方領土にいた日本兵達)は大本営と言う旧日本軍の中枢の連中にソ連に売られている。シベリア抑留の凄まじさは色々語られているが、とにかく厳寒下、過酷な労働に駆り出される割には粗末な食事により栄養失調で多数が死ぬという状況。

軍人に関しては約60万人が抑留されてその1割が死亡とされているが、実際には民間人も含めて100万人以上が抑留され、死者は数十万に及ぶという。だが、正確な数が出ないのは軍も日本政府も彼らを売ったり棄民政策で、数の把握など意味がなかったからのようである。

このような歴史を見れば日本政府など少しも信用ならない、そういう事ではないだろうか。
その当時は報道管制が敷かれていたからなどと、当時のマスコミ人は言い訳するが、特定機密保持に関する法律の制定など、まさしく戦前、戦争に突っ走った時代を思い起こさせる法律ばかりが今制定されている。

戦前を思い起こさせるようなものではないと言うならば、逆にあらゆる法律の透明性を高め、主権者は国民であり、政府も自衛隊も特定人物、組織のための戦争など行わない、あるいは戦争ではなく外交交渉に生命線を掛ける、そのような方針を示すべきである。

安倍晋三は確かに戦争をやりやすくする法律、戦争にのめり込む法律を作り、日本人の生命を危険にさらす事をやっている。

彼自身がどう言おうと、あまり国民の生命財産に関して興味を持っていないのではないか、そう思わせるのは、ISILに日本人が人質になっている、その時に、わざわざ、そのお膝元に当たるようなところに行って、無神経な話をして、自身をアピールするような事をやったことでも明らかである。結果は皆さんご承知のように人質の生命は失われている。

安倍晋三が岸信介をBC級戦犯から正当化する自身のロマンのために日本を危うい状態に持っていくことに、素人の私だけでなく、最近は複数の研究者も同様の声を上げるようになってきているが、皆さんも、その辺のところよく理解すると、安倍晋三のやっている事が決して国民の為にやっているなどという事ではない事わかると思う。

とにかく、この国の政府は天皇陛下でさえも望んでいない戦争を勝手におっ始めて、多くの国民を犠牲にして誰も国民に対して責任を取らなかったどころか、外地にいた国民を棄民しようとした過去を持っている。そしてその総括を一切行わなかった組織なのだ。

夢夢、それは第二次大戦後のこと、などと思うなかれ。何故ならば、当時の日本政府の多くの組織は解体されずに今に至っている。主権在民どころかお上が上という官尊民卑の精神は脈々と官僚達によって受け継がれている。その多くが自民党に引き継がれているのだから、なかなか自民党という党内で、こういうおかしな話に対しての自浄作用など働かない。

改めて、安倍晋三のような人物が政治の世界に出てくる下地を作った我々世代の愚かさを謝罪するが、次の世代の事を考えたら、皆さんも、もう少し考え、行動して欲しい。

おかしな国が日本近辺に存在するから、そういう口実は旧軍でも存在し、どんどん海外派兵へのエスカレートに繋がった、そして国民はつんぼ桟敷に置かれ、意味のない戦争に駆り出されていった、その構造と全く
変わっていない、そういう事だし、同じような事をやるおつむの貧弱さを自覚しない人物を首相に抱いている現選挙民の愚鈍さ。

何だか最後は皆さんにも責任はある、そのような話になってしまいましたが、まあ、民主主義とは言えない国家になってしまいましたね。

あの政権交代に冷や水を掛けたのは、確かに民主党の自滅もあったけれども、何を隠そう、官僚の深謀遠慮によるもの、そこまで読めないあなた方は、日本を滅ぼす。

手前勝手 [社会]

改正道路交通法について昨日ブログに書いたばかりで、早速、また暴走自転車に出遭ってしまったのだが…。

今日、ふだんとは違う買い物で、朝から車で走り回ったのだが、用を為さず、午後にも私が罪を問われた事故現場に近い大型のショッピングセンターに出掛けていった時の事。

右折で件のショッピングセンターの駐車場に入っていく形になったので、反対車線の車を先に行かせて、右折しようとしたら、かなり前方からドロップハンドルの自転車が歩道をまっしぐらにこちらに向かって走ってくるのに気づき、自転車を先行させたのだが、改正道路交通法について新聞テレビであれだけ報道されていても、全く意味がない。

そもそもその道路は県道に交差するせいぜい市道レベルの道であり、車道と歩道が分離されているとは言え、人が横に並べばすれ違える程度と言えばよいだろうか。自転車走行許可が出ている歩道には思えないのだが、仮にそうであったとしてもそんな速度で走るべきものではない。

つまり相変わらず、その地区は暴走自転車が走っている、そういう事なのだが、果たしていったい誰が、そういう連中を増長させたのだろうか。

私がその地区を自転車で走っていた時(私は車道を走っていたのだが)も歩道をママチャリが私を抜いていくのだから、この地区の自転車乗りは根本的におかしい、そう思っている。

私の自転車はいわゆるレーサーではないがランドナーなので変速機の付いている、ママチャリよりは速度の出る自転車なのだが、だからと街中で危険な速度で走ったことはない。

つまり手前勝手な奴がいかに多いか、そういう事なのだが、ついでに。

私が逮捕されて、パトカーでその所轄の警察署に連行されていく時のこと。

パトカーを運転していた警官が、その途上、一時停止のところで、車はこう運転するんだ、私に向かってそう言ったが、車を操作する技量はともかく、いわゆる交通マナーとしてなら、私から言わせれば、お前の運転はなっとらん、そういうレベルでありならが、偉そうな口を利くものである。

強引に捜査途上で逮捕しておきながら、私が一時停止すらできないなどと勝手に決めつけるな、そういう事である。

その時点まで数十年もの無事故無違反運転ドライバーなのだから、やはり、それだけの理由があるのである。

何故、パトカーを運転していた警官が私から言わせれば失格なのか。
それはこの警官、一時停止直前まで速度を落とさずに一発のブレーキ操作で停止させたからだ。交差する道路は優先道路なのだ。所轄の警官が自分の庭のようなところでそういう運転するなど、全く何を考えているのだろうか、そう思った。

つまりこの警官も手前勝手な奴だったのだ。
優先道路を走行している車のドライバーは交差する道を走行する車が目に入った時に、その車の挙動を気にする。

速度が落ちれば、一時停止で止まる、そう判断できるのだが、速度を落とさずに一時停止線直前まで行けば、ブレーキを踏むのだろうか、踏まずにそのまま突っ込んでくるのだろうか、そういう不安をあおる。

だから一時停止のある道路ではそこよりも事前で一時停止線で止まる車であるという事を周囲にわかる操作をする、これが交通マナーであるのだ。以前は多くの車がそういう操作をしてくれていたのだが、今は、このおかしな警官と同じで、全く分からない運転するドライバーが増えている。

仮に突っ込まれたら、こちらにも過失がある、そうされてしまうのだから、こういう事、警察はもっと徹底すべき事なのだが、警官にしてこんなレベルでは、そういう事できはしないだろう。つまり脇道があるごとにドライバーは車の速度を落とさざるを得ない。これではエンジンを定常回転させられないのだからとてもエコ運転などできはしないのではないだろうか。

そういう運転をする私が何故、自転車に突っ込まれたかって?
自転車は、私の前方の視界に入る位置にはいなかった、つまり後方から私の車より高速で言わば追尾ミサイルのように突っ込んで来たのだから、避けられようもない、そういう事なのだが、まあ、暴走自転車の多い地域という事を知っていても、都合の悪いことを隠す官憲のいる地域では、マナーを守った方が間違い、そういう事になるだろうか。

いずれも手前勝手な奴がおかしな事をやっている、その例だが、こんな社会が果たしていいのだろうか。

おかしいよ福島第一原発の処理 [社会]

やはり、ブログ更新は体調的に無理のようなので、今後は体調のよい時に短く、としたい。

さて、これも書きかけのもの、引っ張り出してきてアップしたのだが、尻切れトンボ感があっても悪しからず。

以前のブログで設計思想とか設計審査という事について触れたが、福島原発のメルトダウンした燃料棒の取り出し方法についての報道があった。

しかし、一技術者として言えば、本当によくまあ、こんなもので原子力関係の学者や技術者はかつて原発建設反対派を何も知らない素人、として嘲笑していたものだと思うのだが、これこそその原子力関連技術者達が失笑ものだ。

何が、という事なのだが、まず、一般に出回っている製品について。

全てという事ではないし、やっていないところの方が多い、そう思っていただきたい。しかし、やっているところもあるし、民間企業が、それも製品の故障が顧客や地域の住民の生命財産を無くす、という事に繋がらないような製品でさえ、行っている事を考えれば、日本だけではなく世界中の原発はやっていない、そういう事なのだが。

もっとも、その恐さを知っても、それが現実問題として存在するなどと言えば、原発など作れないから、知らぬ顔の半兵衛を決め込んできたという側面もある。とは言え、原発建設を巡って推進派と反対派が侃々諤々でテレビ討論等を利用してやり合っていた時の日本の原発推進派の態度を考えた時、決して知らぬ顔の半兵衛などと言うものではなかった。つまり、そこまででさえも至っていなかった、そういうのが正しい表現であるかと思う。

設計審査のところで設計部門だけでなく営業や調達、品質部門まで製品に関わる色々な部門が製品を世の中に出すにあたり、当該設計で本当によいのか審査する、そういう事を以前のブログで書いたと思う。

これは製品を作る過程で仕様に合わなかったものやあるいは顧客に渡ってから故障などで返却されて修理後顧客に返送する等、トラブル時についてしっかりシミュレーションすることが設計審査においては大きな要素となっている。

もちろん、製造途上での不良や出荷後の故障などない方がよいので、品質第一なのだが、ゼロディフェクトが容易に実現できない場合もある。そういう時にはトラブル時の対応が重要なのだ。

ところが先日報道された福島原発についての内容は、メルトダウンした燃料棒の取り出し方法について、三つの方法が考えられるとして書かれていたが、もう試したと見えて、その続報で取り出しを行う操作端のロボットが動かなくなったと報道があった。

この事は原発建設以前に、故障時にどうするか、そういうシミュレーション、つまり設計審査をやっていなかったか、全く機能していなかった、そういう事になる。

既に麻痺現象が始まってしまったようだが、燃料棒のメルトダウンというのは実は大変なことであり、それを映画化したものがチャイナシンドロームという、まあ、映画だから実際にはあり得ないアメリカの裏側が中国のような描き方で、メルトダウンした核燃料が地球の裏側に達するような、人間がコントロールできない恐ろしい事態を描いたのだが、しかし、そういう恐怖を駆り立てる要素のあるものであったことは、福島第一原発の冷却電源喪失時のテレビ中継の逼迫した報道で皆さんもご存知だと思う。

ああいう報道をされていて、原発推進技術者や電力関係者を除いて一般国民の誰一人、原発が故障時にもしっかりコントロールされたものだとは思わなかったと思う。

ロボット大国の日本にして原発内で使えるロボットなど持ち合わせていなかったのだが、その理由も、電力会社にロボットメーカーが売り込みに行っても、「原発のどこが故障するのか、ロボットがどこで必要になるというのか、故障しない原発のどこにロボットが必要になるのか?」そのように例えば東電などはせせら笑ったという。

ではメルトダウンした燃料棒の回収作業はどのようにしようとしていたのだろうか。

今、既設の原発の再稼動申請と一部では原子力規制委員会のお墨付きが与えられたものもあるが、はて、メルトダウンした燃料棒の回収や無毒化処理方法さえ確立されていないのに、どこに安全を担保できたなどと保証できるものがあるのだろうか、同じ技術分野にいたものとして、こういう稚拙な連中が規制委員会などと国民の安全安心に関わるのは恐くて仕方がない。

原発立地について活断層との関係を捉えて、活断層が通っていないから再稼動OKだとか、駄目だとかいう議論なども東電が勝手に、シミュレーションで出た津波の高さを「こんな数値の津波など来ない」などと根拠無しに勝手に決めつけた東電担当者達の事、忘れまじ、というところか。

火山学者が規制委員会や規制委員会の判断を持ち出して再稼動にゴーサインを与えた裁判所の判断を批判したが、これは然り。火山列島の日本は昭和新山の例を挙げるまでもなく、いつ、どこに火山ができてもおかしくない。現に今でも小笠原諸島に海底火山により新しい陸地ができているが、これが陸地にできない保障はないし、日本には阿蘇山の頭頂部が吹っ飛んだという話もある。

それらの話が荒唐無稽と批判するよりも設計審査のイロハさえもできていない連中が設計する原発、恐くはないのか?

恐くないと言うなら、地産地消で、それこそ一番電気を使う大都会に、それも行政府エリア内に作るべきだと思うのだが。

厚顔無恥 [社会]

三週間ほど前、強烈に体調不良、それも心臓に大きな負担の掛かったような極度の疲労感を伴うものが出ていながらどうにも目の調子が良くないので、温泉治療にと無理をして出掛けた、そのツケか、さらに体調不良をひどくしたようで、それっきりブログとは縁が切れたような状態になっていたので、いつ再開できるだろうかと思っていたのだが…。

そのような次第で皆さんへのブログ訪問もままならない状態でいたのだが、先日、アドレナリンが出てくるような事態があって、その勢いを借りてその事について書いている。

以前にも書いたが、私は自身が着せられた汚名について、あまりにひどいではないかと、想定できるところには出掛けて協力を求める行動を取ってきていたが、共産党員及び、共産党系の組織だけは私の神経を逆撫でする言葉を吐いてきている。

選挙期間中に選挙妨害になる行為、及びそれと疑われる事はしない、つまり私の生き方である、正々堂々としたこととは相反する事になるかと、統一地方選が始まってからはあまり政治的発言をしないように努めてきたのだが、あまりに人の神経を逆撫でする行為をされたので、ここに書くことにした。

私の住む都市は人権宣言都市として大きな柱に詠っている。
私は私が訴追された事案で、人権侵害されている。当然、市として、市長あるいは市議としてそういう情報を得たら動いてもおかしくない。

私の場合は、馬鹿裁判所が新しい証拠がないと再審請求には応じない、そのような頑なな態度しか持たないから、自身で子供でもわかるように私の事案を説明できるものを、レベルが多少落ちたとしても、物理的事象に造詣の深いインテリ及びそういうインテリと人脈があるとされる共産党にその紹介あるいはもっと人脈として太いパイプを持つ上部組織を紹介してもらおうと地元の共産党市議に会いに行った。

数十枚に及ぶ資料及び写真まで渡して説明をした時にこの共産党市議は何と言ったか。
人権のことなど扱えない、そう言ったのだ。

戦前、特高や憲兵、あるいは時の政府から各種弾圧を受けて、人権という事には一番敏感であるはずの共産党市議にしてこうなのだ。

挙げ句に何と言ったか。
「相手に焼香に行く気はないのか?」そのように私を非難した。

とんでもない。被害者は私であり、汚名を着せられた挙げ句に1000万円近い金を裁判に費やさなければならない理由などないところにもって、民事で7000万円の損害賠償請求など不当な事ばかり。

「そこまで言うなら同乗していた母の口から事実関係を聞いたらどうか? 我が家がどれほどの苦しみを受けたか、母親の口から聞くといい」私はこう言ったが、その後、メールでも確認して、その市議は来る、そう言ったのだ。

ところが民事で7000万円もの不当な請求をしてきた弁護士事務所代表が共産党系の東大出の社会派の弁護士という触れ込みの人物。市議がこの人物と懇意ということもあり、結局、自分たちの組織としての利益を優先したらしい。私が渡した資料を昨年末、大晦日の午後5時過ぎに我が家に返しに来た。

ついでだから母の話を聞いていったらどうか、私はその気がないと分かっていながら尋ねたが、会うとは言わずにそそくさと帰っていった。

この人物が先日、我が家の2件隣の場所でスピーカーを通じて過去の実績とやらを含めて選挙演説をしだしたのだから、人の神経を逆撫でするにもほどがある、そう思って「嘘を言うな!」そう文句を言いに行ったのである。

人権宣言都市を詠っている市の市議が人権は扱わないというなら、何をやるのか?
自分たちや党に都合の良い事だけをやるために市議になるのではなく、市民のために市民を代表して市政をチェックするのが市議の役割であり、市民が人権侵害されていることを知れば、その解決のためにはどうやればいいのか、それを考え実行することも市議の役割である。

私の裁判では共産党系の弁護士も私の弁護をしてくれているので、共産党系全てが悪いなどと言うつもりはない。しかし、この組織、劣化が甚だしいと思う。何のための政党であるのか、今一度反省して考える必要があるのではないのか。

必要があると言っているのは、無償でのボランティアではなく国民の血税を収入として得る以上、国民の利益を考える必要があるのに、国民よりも党の利益優先、そう見える節が多々あり、また、分かりもしないのに分かった振りをして人を下に見る傲岸さはどこから来るのか。

共産党系、東大卒、弁護士これだけ揃えば、傲岸さも筋金入りになりそうだが、そんなもの井の中の蛙でしかないから傲岸になる。君たちの知らない世界や君達よりも上の人間はもっといっぱいいると思うよ。

事実の把握をする力もなくて、よくまあ勝手な論理で人を非難したり無実の人間に汚名を着せられると思う。
私は犯罪者の汚名を着せられているが、一つ一つ誠実に事実を見て行く人間として生きているから上記のおかしな皆さん全てを合わせたよりも自分の方がずっと上だと思っている。その証拠に上記の条件のどれ一つ当てはまっていないから。

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