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感覚の違いだけだろうか? [所感]

日馬富士の暴行問題で意見を述べた全ての人間が暴行したのは悪い、とまあ最初に紋切調に述べていたのだが、本当にインタビューやコメントを求められた全ての人間がそう言ったのかは、わからない。もちろんテレビのコメンテーターの場合、生番組での発言だから、見たまんま、そういう事だろう。

だが、新聞や街頭インタビューは、編集可能なので額面通りかどうかはわからない。それでもテレビの影響力を考えれば、暴力は悪い、そのようにコメンテーターやゲスト出演者たちが言っているのと反対の話を言う人は少ないだろうから、やはり影響されて、話の一番にもってくる(不思議と、まず、この事を言ってから当たり障りのない事を言うか、それだけでコメントが終わったりしていた)のである。

で、今回の件、日本国内ではあってもモンゴル人同士、あるいは相撲という特殊な職業に関わっている人たちの話だと思うのだが、感覚の違いというのを感じないだろうか。

モンゴルが文化的に遅れているなどという気はない。だが国情、国民性の違いはある筈であり、社会性の違いもあるのではないかと思う。

日本でだって、ついこの間まで、教師は平気で体罰をしていたし、自ら暴力を振るったことのない私にでさえ、教師は自身の勝手な勘違いで、厚い教科書の背部分で頭を叩いたり、胸を突きとばしたり、こういう事をやっていた。しかし、他の教師の誰からも批判は出てこないし、教師が謝罪したこともないし、ましてや処分などあり得なかった。
 社会の劣化を考えると、私の時代から教師が格段に良くなったとも思えない現状において、そういう体罰が皆無になったとも思えないのだが、では一般社会でも暴力はないのか?

 全く下らないし、見ていて不快だと思わせるものに、能無し芸人たちのお笑いと称するものがある。
 全く無意味な造語であるイケメン、などとは程遠い面相であるのにジャ何とか言う芸能事務所のメンバーであるというだけでイケメンなる修飾語のつくタレントがいたりするが、かつての映画俳優たちはどうだったかというと、二枚目が見事に主役を張っていた。しかし、その二枚目は本当にいわゆるハンサムであり、嫌みのないいい顔立ちをしていたものである。今のイケメンという修飾語は、そのハンサムを思わせる言葉なのだが、実態は程遠い。別にハンサムでもないものを無理してイケメンなどと称する文化を作るよりも、昔だって個性派俳優とかいって独自の境地や演技を見せていたりあるいは主役を張っている俳優はいたのだから、イケメンなどというものでタレントの価値を上げる必要はないと思う。かつてのアメリカでも美男美女が主役や相手役を務めていたが、今、そういう美男美女ばかりが主役を演じているかというとそうではない。つまりリアリティーというものが映画の中でより重んじられるようになると、個性派といったらいいか、いわゆる演技派といった方がいいのかもしれない、そういう俳優たちが主役を演じる事の方が増えたと思う。
 で、同様にテレビの世界を席巻しているもう一つが、関西系の事務所所属に多いのが、能無し芸の代わりに、叩く等で笑いをとる行為である。叩くという行為、お互いの打ち合わせの元あるいは了解のもとに行えば、暴力でもなんでもない? 他人をけなしたり叩いたり、そういう事での所作が笑いを取れる、いや実際笑っている視聴者も多いかもしれないが、これってレベルが低すぎるし、そういう事に鈍感であるのに、何故、日馬富士の件では敏感?
 しかし、そういう芸人がテレビ局でメインのキャスターを委ねられて、出演するゲストの口をふさいだり叩いたり、こういう行為をたしなめる論調を聞いたことがない。
 今回、NHKを含めて全てのテレビ局で加害者とか暴行あるいは障害、と日馬富士の行為について、まずは断罪している、その範疇には、こういう芸無し芸人の行為は入らないのだろうか。見たくもない芸無し芸人がテレビ番組のあちこちに勝手に出てきて、相手を叩く行為を漫才として日常的に見せられている身にとって、異常なまでの反応を見せるテレビ局とは一体何だろうか、そういう気がしている。
たぶん、日馬富士の行為はモンゴルでは、それほど大きく取り上げるほどの行為ではなかったのだろう。中国から広大な中央アジアを制圧してヨーロッパまで進出したようなモンゴルの人たちにとっては、血が騒いだり、多少腕力沙汰になるようなことは、大目に見るような事であるのかもしれない。

何度もこのブログで書いたが、中東のサウジアラビアの人間など、他人を尊重するものなどなく、自分の欲望や都合で他人のものにでも平気で手を出す。こういう文化を知らないと、余計な摩擦あるいはトラブルをひたすら大きくするだけになる。
 一度手打ちをしたかに見えたもの、わざわざ大きくするよりも別の手立てを尽くす頭が関係者、つまり貴ノ岩の親方になかったのか。
相撲ファンとしてはあまりの独善ぶりに、何だろうか、そう見ているのだが、まあ、次の場所では何とか日本人力士が意地を見せて場所を盛り上げてほしいものである。

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