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言い訳 [日記]

“言い訳”は、この私の、総選挙絡みの、見誤った事に対する男らしくない言い訳の話である。
おおおそ、人を見誤った事のない私、と言っても基本的に善人説に立つ(このブログでは辛辣な事ばかり書いているので、そう思われないだろうが、実は、お人好しの裏返しで、辛辣な事を書いている)、その観点で見るので、その点での裏切られることは多い。おおよそ、見立てに狂いのないのは能力査定という点だろうか、などと男らしくない言い訳に終始する今回の情けないブログなのだが。

小池百合子という人物、大物で首相の器があり、国のかじ取りを付託するに足る女性政治家、そのように都知事選を闘う姿を見て、私は思ったのだ。父親が米軍相手の基地闘争での闘士という友人も、都知事選では「今回は私も小池百合子に投票した」そのように語ったものだ。有力な女性政治家が出てくることを、能力があれば喜ばしい事、私は、当時、そのように見た。
さて、以下は総選挙で、落胆した私の作り上げた陰謀説、これをもって総選挙の総括とするものなのだが。


首相を務めるAは、自身や自身の夫人が絡む学校建設問題で大きく支持率を落としたことから、悲願である、憲法改正を自身の手で行うそのタイミングや、環境作りについて、新たな総選挙での自身の与党を大勝させる形というものを探っていた。総選挙は任期切れに近づくにつれて、解散の選択肢が狭まるので、与党の負けを最小にするタイミングが重要だと、Aは考えていたのだ。ここには国民の負託を受けた首相などという考えはない。ただひたすら与党の負けを最小にするタイミングを狙っていたのだが、幸運な事に、最大野党が、自滅の道を辿りつつあり、野党再編がある可能性も出てきたので、野党側の体制が整う前に解散総選挙に打って出るのが、ベスト、そのように結論を出した。野党第一党が自滅気味であっても前回参院選で野党統一候補には苦しめられており、最大野党の党内がまとまる前に解散総選挙に打って出るタイミング、そのように判断したのだ。
 ただ、総選挙という事になると、一挙に野党がまとまって野党統一候補を出してくる恐れがある。それがなれば、かなりの苦戦、それも下野につながる可能性がない事もないほど、あるいは勝ったとしても責任論等で首相の剤にとどまる事さえ危うい。そこでAはもう一手を打つことにした。
野党分断作戦である。Aは国政に強い関心を持つ都知事のKに声をかけて、新党の発足を促した。
ここで行われた密約が
1、野党を分断させる事
2.比例復活を行えないように無所属での立候補を増やす事

これが成れば野党大勝の目はなく、Aは悲願の憲法改正に着手できる事になる。そして憲法改正はKの持論でもあり、異存はなく、さらに言えば、Aは、その代わりにAの後の首相にKを押すことを約束した。Kは現在の職である、都知事職を主催責任者であるオリンピックまで行い、その近辺のタイミングの良い時期にAが画策して衆院の補選を行う、その補選に出て国会議員となった後、Aが首相を辞した後の与党総裁選でKを押す総裁選で首相になる、そういう密約がAとKの間に出来上がり、急ぎAは解散の話を世間にリークし、Kは国政政党を主催する話を出すことになった。
つまりKの人気でKが作る新党に野党の国会議員が乗れば、ちょうど良いタイミングで他の野党からの新党への移籍に制限を設けるという事で、所属先のなくなる大勢の野党議員が路頭に迷う事になり、結局所属先のなくなった野党議員たちは無所属で闘わざるを得なく、選挙資金や比例復活という事でのハンディを負う事になり、当然与党が大勝することになる。
以上の話でAを安倍晋三に、Kを小池百合子に置き換えれば、かくして密約の実行になって、読者諸氏も知る選挙結果になった、そういう事になる。唯一の誤算は、立憲民主党なる政党が、思いの外、早く立ち上がった事、そして意外なほどの支持を集めた、そういう事だろうか。
とまあ、思うようにならなかった総選挙についての私の負け惜しみ解説なのだが、書いた私自身が、こんな事はなかったんだろうな、そう思っている。
何故ならば、安倍にそれだけの頭脳があるとは思えないからだが、昭和30,40年代の自民党ならば、あったかもね、そういうところか。
ちなみに、小池百合子はリベラルを過少評価し過ぎた。自民党の絶対的支持層は最大20%程度であり、保守だけで国政を二分する政党などできはしない。だいたい自由民主党という名を冠した政党にも属していたのに、リベラルを排除などと、何だろうかと思うが、国政を担うならば排除の論理など論外である。右から左まで国民は分布しているのだから、丁寧に国民の負託にこたえる、これが国政に参加する政党の義務であること忘れまじ。

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不祥事に名を連ねた東レという会社 [所感]

日本のメーカーの信用度が日に日に落ちていくのではないかという、メーカーの製品出荷に関しての不正が発覚している。

東レという会社、そんなに悪い会社だったのだろうか?

かつてバブルに踊った日本。実体経済ではなくマネーゲームに踊り、日本の金でアメリカが買える、そのように言われるほど金が巷にあふれていた。いや、庶民のところではなく、マネーゲームに踊った金融機関や他の企業にも。

他の企業とは何ぞや?

庶民から土地を買い上げて、その土地にでっかいビルを建てて、高額で売り買いあるいは貸して、多額の利益を上げる、そしてそのプロセスに絡めばどんな企業も本業よりも多額の利益が出る、そういう世の中の流れの中で、財テクをしない手はない、そのように多くの企業が、そのプロセスに関与し、その担い手である企業の中の財務部門がもてはやされ、メーカーも本業の製品への注力よりも財テクに注力、財テク部門が出世の近道のようになっていた。

こういう時代に地道に努力をしていた企業があった。いや、この会社だけではなく、他にも同様の企業はあったのだと思うが、マスコミに大きく取り上げられた企業という意味で、名を挙げられたのが、東レ。

わが社はメーカーなので、本業で利益を上げるのが本筋であり、財テクはしません、という趣旨の事を当時の東レの社長はマスコミの取材に対して述べている。立派である。

さて、それから時代が下って、名門企業として経団連の中でも主要な地位を占めた東レが、今、その経団連会長としてトップを張っている。

屑である。

今の経団連トップを張っている人物が東レの社長、会長という時代に、東レの系列企業の不祥事が行われている。

この人物、安倍晋三の武器輸出三原則いや、言い換えよう、武器禁輸という縛りを大きく緩める政策に真っ先にもろ手を挙げて賛成と、表明した人物であり、こいつにして今回の事(いずれおかしなことが表面化するのではないかという事)、ありなん、そう思わせた人物である。

長く他国の人命も自国の人命も戦争で失わせていない平和国家、そのように世界に誇っていた国が、人命を損なう武器を輸出して金を稼ぐ? 恥ずかしい事ではないのか。

多くの日本人は武士階級に属してはいなかったはずなのに、何かと、武士を標榜する、最近のスポーツでの日本代表チームへの冠のつけ方を考えれば、日本すなわち平和国家、という印象は日本人にとってはとても大事なものなのではないだろうか。

世界が平和であってこそ、日本がその平和と繁栄に貢献する製品で、日本自体も繁栄の道を探る、それが戦後の日本の一貫した姿勢であったはずなのだ。

それを経済面で支えるべき経済団体のトップが、人命を損なう事の対価として金を稼ぐという政策にもろ手を挙げて賛成する、こんな見識のない人物が経団連のトップでは、やはり日本の企業トップがいかにレベルが低いか、見識の高い人物がいないか、分かろうものである。

末端のやった事にまでトップは責任を負えない、そういう見方もあるし、それを良しとすることを否定はしない。しかし、トップが変わった途端に社内の空気、雰囲気がガラリと変わる、というのも事実である。

メーカーの責任を感じないトップの下では、一気に落ちてはいかなくても、名門という名に恥じなかった企業でさえも、最終的には不祥事の起こる体質に変わってしまうのだ。

自動車会社として世界一の売り上げを誇るトヨタでさえ、小泉改革に賛同していたトップの元、大衆車で儲けなくてもいい、アメリカで価格の高い車が売れればいいんだ、と当時のトップが、嘯いたその結果が、企業体質を落とし、今の社長の着任時に涙を流しての謝罪会見につながるような、そういう事になっている。そういう事、対岸の火事と、多くの企業は看過しているのだろうか。

しかし、私の身近にも不正は蔓延していたし、それを正すべく行動する人間は私の周囲にはいなかった。
私?
以前からこのブログで言っているように、正義の人ですよ。はっきり言ってその正義に心情的には賛同する、そう言ってくれた人物がいなかったわけではないけれども、行動を共にした人物はいませんでしたねえ。それが日本社会、そう思ってます。
企業の中では頭の悪い奴、悪い奴、ずるい奴ほど上に行きましたねえ。
ソネブロで企業の不正を告発している人たちの気持ち、よくわかります。事なかれでは、世の中、よくはならないんですけど、であるのに、政治が悪い? 行動を起こしましょうよ。

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四横綱揃い踏みの相撲が見たい。 [所感]

日馬富士による暴行問題で、モリそばもカケそばも食い損なった感があるが、かも南蛮でも食わせてもらえたら、まあ、文句は言うまい。

さて、人それぞれの考え方や、好み、好き嫌いがあるので、日馬富士の暴行問題、私の話にも異論が多発する事を承知で、書いてみた。

暴力はいけない? 
きれいごとを言うな。全く何の関係もない人物たちが一様に唱えるこの文句、逆にうすら寒ささえ覚える。
人間として基本的な事を自分はわきまえているんだぞ、みたいなことを言うなら、それ以前に、もっと大事な事がある、その事に関与してきていない、その事についてはどうなんだ?

まず、私の結論として、力量の劣る力士よりは力量の近い横綱同士の相撲を見たい、これが相撲ファンとしての私の率直な気持ちである。
白鵬にとっての安全パイの力士の相撲よりも四横綱が揃った相撲を見たい、目の肥えた相撲ファンならば、そう思うのではないかと思うのだが、品格だの権威だの相撲道だの、相撲が好きな私には、そういう事は二の次。年齢のいった最近はとみにそう思う。つまり白熱した取り組みが以前に比べて減った、そういう感が否めないので、横綱同士の白熱した取り組みを減らすな、そう言えばいいだろうか。

中学生の時に、弱いくせにはったりをかませて、おおよそ喧嘩とかからは縁のなさそうな生徒を見つけては、言い掛かりをつけて自分を強そうにアピールしている生徒がいた。友人同士で楽しんでいるところに絡んでくるのだから始末が悪い。その生徒が弱い事は周知、そう思っていたので、絡んでくるのを相手にするのもばからしい、皆がそう思って相手にしていない、そういう感覚で看過していたのだが、あまりに度が過ぎるようになって、どうもはったりの咬ませ方がひどくなって、皆がビビりだしているのではないか、そう感じたある日、休み時間で大勢が集まっている中で、談笑していた私を含む数人に対して、その内容に絡んできたのを、満座の中で、腕をねじり上げて、そばの壁に何度もぶつけてのしたことがあった。当時すでにボクシングの練習をしていたので、殴ってもよかったのだが、相手から殴りかかってきたわけではないので、自分から手を出す場合、せいぜい、腕をひねり上げる程度、そのように判断したのだが、少しばかり度の過ぎた言い掛かりだったので、つい、そのままそばの壁に何度も打ち付けるという行為まで行ってしまったのだが、だからと私が学校から処分を受けたわけでもないし、相手も自分が悪い事は承知していたのだろう、学校に訴えることもないし、周囲の生徒も、その生徒には相当に怒りを感じていたと見えて、学校に連絡するとかいう事ではなく、単に喧嘩、そのように捉えただけでなく、この際と、その後、次々にその生徒に鉄拳制裁を加えていって、最後には、その生徒も言い掛かりをつける相手がいなくなるどころか、自身が常に、言い掛かりをつけられる立場になっておとなしくなってしまった。結局、私が手を下すまでは、そういう事を大人げないと、皆がやらなかっただけ、であるならば、いい社会なのかもしれない。だが、それをきっかけに、皆が、その生徒の威勢のよさは、はったりと気づいて、最後には噛みつく相手もなくなるほどにクラス中の生徒にやられてしまった、この事は、いったい何を指すのだろうか、そう思う。それをやらなければ、私も相当に腹立たしい学校生活を送り続けていたという事になる。少年院帰りが同じ学年で13人もいた学校の中ではおかしな奴に対しての逆に腕力を振るう勇気というものも必要だった、そう思っている。
日馬富士について、その言動が以前から物議をかもしてきたとか、そういうものがあるならば、嫌な奴、そういう思いが私の中にも芽生えて、いい相撲をとっても違和感を覚えて、あまり見たくない、そういうところに落ち着くかもしれないが、そういう過去も耳にしていないので、個人的にはごちゃごちゃさせずに、早くいい相撲を見せてほしい、そういうものだ。
 学校生活でも社会人としての一般社会でも人を食った態度をとる人間は大勢お目にかかっている。法をつかさどる司法の連中、とくに検察のクズなどは最悪に近い方だったが、権力をかさに、自分たちが違法行為をしているのに、それを取り締まる組織のない事をいいことにやりたい放題。こっちのほうがよっぽど悪質だと思う。彼らは是正が入らない事をいいことに、継続してその無法を行っている。いつか鉄拳制裁を加えてやりたい、そう思うのは私だけではないようだ。残念ながら私には順法精神が沁みついているので、検察のクズが嘘とか法に触れることをやっても、だからと私まで同じ土俵に立つ気はない。検察のクズたちと私とでは物が違うのである。

さて、テレビ桟敷にまでも頭同士の当たる音がするくらいのぶつかりをする力士たちの、頭を少々ひっぱたいたという事での暴力を刑事事件として警察に持ち込んだという行為なのだが、私には違和感しか覚えない。いかにも子供の社会に見えてしょうがないのだが、なんだか、何事にも大騒ぎをする傾向、果たしていいのだろうか。国難解散を唱えた安倍晋三を是とするようで気持ちが悪い。
被害者とされる貴ノ岩の頭部裂傷を縫ったという写真がテレビでも写されていたが、前述のようにテレビにまで音が伝わるほどの立ち合いのぶつかりをする力士にとって、顔が切れたとか、瞼が腫れたとか、そういうのは力士にとっての勲章ではなかったのか。それだけガチンコで相撲を取っている証拠だという事であり、そういう事を考えれば、殊更、同じ力士の暴行とは言え、一般人に対しての暴行とは違うのだから、あまりの過剰反応ぶりに、この世界の子供っぽさも異様に感じる。
異様と言えば、先日からマスコミを賑わした公立高校での女子の頭髪の色、長さなどのばかばかしい規制の話。貴乃花の過保護とも見える貴ノ岩隠しと通じて違和感を持つ。
今時、ガチガチの生活規制を行っている親方がいたら、それこそ問題だと思うのだが。結局、生徒の事を思っているようで実は自身が管理しやすいからという、今のアホバカ学校管理者たちとどこが違うのだろうかなどと、思って見てしまった私は、皆さんとは感覚が違うだろうか。相撲協会の中での改革派などともてはやされているようだが、その目標とする姿など出てきていないし、伝統を重んじるというなら、協会の先輩諸氏に対しての態度など自ら改めるべきものがいっぱいあるようで、今回の事件とされるものの事実が伝わっていないが、あの師匠にしてこの弟子あり、そんなところか、そう見られてしまうのではないだろうか。
 で、被害者と称する貴ノ岩の親方の行動は何だろうか。裏社会まがいのかっこうだから、嫌悪感を持つなどと、狭量の話をする気はないが、さて、これが大鵬親方だったら、どう対応していただろうか、と私なりに考えたのである。
 かつて45連勝で止められた行司差し違えの相撲を、行司が差し違えるような紛らわしい相撲を取った自分が悪い、と黒星を甘んじて受け入れた、その考え方から思うに「横綱ほどの品格器量の持ち主をかっとさせて手を挙げさせるような、そういう弟子に育てた私が悪い」そのように言って、逆に、日馬富士の部屋に頭を下げに行き、相撲協会にも自身の至らなさで起こった問題として報告するのではないだろうか。
 殊更、事態を大きくして、白けさせるくらいなら、もっと相撲の中身を濃くする相撲を取るように力士に指導する方が、よっぽど暴力事件などからは遠い体質になるのではないだろうか。貴乃花も協会も時間を割く中身が違うような気がするのだが。

追伸:予約投稿にしていたら、アップの前に日馬富士が引退届を出してしまい、私の四横綱揃い踏みの相撲を見たいという希望は消え去ってしまったが、果たしてこれでよかったと言える落としどころだったのか。
 

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総選挙、私の負け惜しみ [所感]

安倍は嫌だけど、自民党しか信頼できる政党はない? 馬鹿を言っちゃあいけないよ。安倍が嫌だという、その安倍カラーをずっと黙認してきたのは自公の国会議員たちじゃあないか。
つまり自公の国会議員への支持は安倍晋三の支持と同じ。違うと言うなら、違う事を見せて見ろってんだい!

モリそば、かけそばを丁寧に説明する? じゃあ、ざるそばの立場はどうなんだ。えっ? 関係ない? だがしかし、この事案についての安倍の話は、ざるそばの立場を説明しているようなもんじゃないか。まあ、いずれにしろ好みの問題が教育に反映されるのも問題だし、それが国民の資産と絡んでの特定個人への利益誘導が疑われるなら、もっと問題。
 つまり解散前の安倍に絡んでの話について、行政の責任者として、あるべからざることが起きた事への責任を取っていない人間が、さらに重要な憲法問題に踏み込むのはもっと問題、それが国民一般の認識だったのではないだろうか。
 しかし、安倍という個人は祖父である岸信介の戦犯という汚名をそそぐためにはどうしても、岸信介が立派な、それも歴史に残る政治家である、そういうものが欲しい。それを実現させるための道具が憲法改正いや改悪か、なのだ。
 こんな単純な構図さえ見通せずに自民党支持とか自公政権に大勝させるとか、日本人、偉いねえ。あんな悲惨な戦争はもう懲り懲りだ、とまあ自分たちの事しか考えない反省を、他人の痛みも知るようにアドバイスを受けての日本憲法、押し付け憲法だなどと変えようとするのだから、さて、そう変えようというのかねえ。

 私? ここがはっきりと自分の意見も持たずに大勢に流されていく日本なら、憲法変えちゃあまずいんでねえかい、そう思うんでやすよ。
 だいたい、法の執行機関で、嘘が平気でまかり通る現実を体験した身には、この国が権力を中心に動いていく事にはアレルギーしか感じない。

 北朝鮮、困りますねえ。しかし、とても頭が良いとは思えない安倍晋三が北朝鮮が相手にしているアメリカの前にしゃしゃり出て、何をやろうというのか、いかにも緊張を煽る事しかやらない危うさを、日本人皆が見損なっているんじゃないのか。
 自身が緊張感を煽っていて、国難? これ、岸信介と同じなんじゃないの?
さて、岸信介、350万余の日本人の生命を奪う第二次大戦に日本を導いていながら、自身は戦後も、好戦的姿勢を崩していない。戦後すぐにGHQが財閥解体をした、その理由は財閥が軍と組んでの海外への侵略と戦争遂行が行われたと対戦国が見たからであり、その財閥の監督責任がある商工省の大臣が岸信介であり、また、宣戦布告書に商工大臣としてサインをしたのも岸信介。

 なんで、今頃、岸信介の亡霊のような憲法改正論議に我々が嵌らなきゃならない? 
 私が岸信介の孫だったら、世に出る事さえ、恥じるけどねえ、安倍晋三、そういう羞恥心がないのでは? こんな人物を税金で首相として雇っているんだから日本人、お人好しというか馬鹿というか、いい加減にしてほしいもんだねえ。

 結局、モリそばもカケそばも国民が得心する形にならなかったじゃないか。私だったら、国民がすっきりする対応を取るけどねえ。
 日本人は馬鹿だから私の意見などよりも安倍のやっている事の方が頭が良いように見えるんだろうねえ。自分たちの税金で自分たちに縛りを入れるような人物を雇うんだから、まあ、馬鹿さ加減、この上なし、そういう事だろうか。

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金鳥ゴンゴンの替え歌 [所感]

こ~っか~い(国会)のな~か(中)は、あべ(安倍)のパラダイス~
もう、言いたい放題、やりたい放題、何してけつかるねん
シン、シン、シンシンシンシン、アベシンゾウ~

お粗末様でした。

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安倍君、積極的平和主義はどこに行ったんだ? [国際]

アホノミクス、いやアベノミクス等、勝手な造語で自身のネームバリューを挙げようとしているかに見える安倍晋三が打ち出してきた言葉が積極的平和主義というものだが、要するに、紛争を武力では解決しないという姿勢を変えて、同盟国や国連の活動においては武器どころか武力行使を行う、そう言っているのと同じなのだ。
 う~ん、これのどこが平和主義という言葉と合致するのだろうか、普通の人ならそういう疑問を持つのではないだろうか。その普通の人が持つ疑問がこの言葉を使ったというか作って言い出した安倍晋三の真の姿を現している、そう思うのだが、今の北朝鮮情勢なども安倍晋三の真の姿を現している。
 今回のリスクの高まりにおいて安倍晋三は積極的平和主義の“せ”の字も言っていない。それどころか北朝鮮問題としての危機を煽ることどころか、日本国民を危機に陥れるかのような,北朝鮮がアメリカと対峙する中、アメリカの前にしゃしゃり出て、北朝鮮の武力行使の矛先を日本にも向けさせようと躍起になっている感がある。
 安倍晋三の動きは素人が見ても平和主義を標榜している人間とは思えないのだが、韓国の密漁船を捕捉しようとした日本の巡視船に対して軍艦を対峙させるなど、とてもまともとは思えない韓国の藩基文が事務総長を務めた(もっとも、在任中、何もしていないと有名だったが)、国連という舞台で、北朝鮮に圧力をかけるべく安保理による制裁決議を国際社会に発信して行わせようとしているのだから、北朝鮮にとって、日本はまさに敵国としか映らない。実効性のない安保理決議の為に、わあわあ騒ぎまくって、結果が出ないどころか、日本という国の印象だけ突出させる演出は何のためだろうか。
 話変わるが、日本の外交官についての話、単に噂話レベルではなく、現実の話として閣下と呼ばれるのが当たり前のごとく、大使など何をしているのか、そういうものがあるのだが、積極的平和主義というなら、軍事面よりもむしろ外交面に、より成果が表れるのが普通なのではないだろうか。しかし、安倍政権下ではより、軍事面での整備に軸足が移っているように見えるのだが、安倍晋三、自身のできの悪さ、全く認識できていないようだ。
 日露戦争でのロシア軍の捕虜達が山口県で日本の将校に連れられて温泉治療に通っていたという話を祖母や母親からよく聞かされた。第二次大戦に移行する関東軍や旧日本軍の時代には敵国だけでなく日本人の命でさえ粗末にする、そういう風潮になったようだが、日露戦争や第一次大戦までは日本にも敵味方の人命を粗末に扱う考え方はあまりなかったようなのだが、その人命を粗末にする考え方の下での第二次大戦を主導した政府の考え方のど真ん中にいたのが岸信介であり、戦後もそれを引きずりさらには安倍晋三に引き継がれている、というのは言い過ぎだろうか。
 しかし、戦国の時代でさえ天下統一に名を挙げる武将の数々は自らの兵の消耗を避け、敵を調略し、敵の兵の人命までも損なうことなく勢力を広げていくという見事な戦いを進めている。
 勢力的に自国が危ういとみれば敵国同士を闘わせたり、有事には調略で兵の損耗を避けたり、そういう中には単に軍事力に頼るのではなく外交努力等折衝力、説得力のある部下を使っての戦略が功を奏しているのだが、安倍晋三、自身でそういう事までもできると思っているのだろうか。まあ、岸信介のような、350万の日本人の命を損なう戦争に責任も何も感じずに生きた人物のDNAを持つ人間には、人名を損なうなど平気なのかもしれない。

岸信介が国を割るほどに強引に推し進めた日米安保。今、北朝鮮の核兵器保有という脅威を迎えて、日米安保に安住して、全世界への平和推進という戦後日本が武力の放棄を宣言した精神を広める努力を怠った結果が、今、ここに現れているような気がする。多くの外交官がふんぞり返ってきた一方で首相自らが駆け回ったって、継続的な平和外交などできはしない。安倍という人物が国民の血税を、自身の名誉欲を満たすためだけに行く先々でばら撒く事が、果たして、相手国の為になったり日本国民の為になったりあるいは世界の平和に貢献していると言えるだろうか。日本のODA援助が相手国には正しく伝わっておらず、日本の資金で建設されるインフラ等の建設に、受注した中国企業の中国人が大勢働いているという事情が相手国国民には中国の援助でインフラ整備されていると誤解されている事も多いと報道されている現状、いかにも浅はかな安倍政権の現状を映し出しているとは言えないだろうか。こんな人物が日本の総理大臣? もう辞めてもらいたい、そう思うのは私だけだろうか。

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無責任国家が国連安保理事国とは?! [国際]

以前、日本の安全保障絡み、特に集団的自衛権絡みで同盟国による武力紛争あるいは戦争に巻き込まれるよりも国連至上主義で、国連の枠組みの中での国際貢献という事がもてはやされたことがあったが、しかし、北朝鮮問題を始めとする世界のリスクになりそうな話や現実に武力紛争の起きている地域の解決に向けての国連安保理での話し合いの実効性はどうだろうか。

そこには自国の国益優先で決して人命など頓着していない、そういう大国主義の裏側が透けて見える。

日本も国連至上主義などと言っても、国連自体がしっかりした組織として人類の平和と繁栄を旨とした実効性のある組織として動こうという形にならない限り安易に国連至上主義などと言わない方が良いかもしれない。

つまり構成国やその活動の内容を見れば国連安保理など顔をしかめたくなる内容の論議しかされていない、そういうものだからだ。

今は、日本が直面している北朝鮮による核の脅威、そういう事での国連安保理がどのように、この危機に対応しようとしているのか、というと、これまたロシアとか中国という全く世界的に見ても平和とは無縁の二か国の国益優先の理事国二か国の無責任国家の行動で、危機が長期化、先送りされて、さらに増大するという、日本にとっても世界にとっても大変な状態になりつつあるのだが、日本にとってマイナスの行動しかしてきていないロシア、中国の経済に日本国民が果たして貢献する必要があるのだろうか、安倍晋三のばらまき外交を見ているとそういう気がしてならない。
武力でなく、話し合いで解決を、そういう主張が一見もっとものように見える、ロシアと中国の姿勢が、今、今までにない危機を東アジアにもたらしているわけだが、ロシアと中国が、この危機に責任を全く感じていない、そして言う事と言えば、以前と同じことしか言っていないが、この結果で、東アジアに新しく核武装したとんでもない“ならず者国家”が出現した、そう見ている日本人も多いのではそう思うのだが、結局、共産主義なる妄想にとらわれた国家の行き着く先は、人類の平和と繁栄とは真逆の武力による国民への締め付けを行い周囲に危機をもたらす独裁国家の出現でしかなかった、そういう事になるのだが、既得権にとらわれるレベルの低い人間が多数、政府内に出現するとこれは共産主義だけでなく民主主義を標榜する国家内でも同様の事が起こり得る。そういう国家の集合体の国連に我々は何を期待して、国連至上主義なるものを標榜するのだろうか。
話し合いによる解決をなどと、いかにも平和を愛する国家のようなふりをしてきたロシアや中国が国連の制裁決議など全く頓着せずに、平気で決議を破っていながら、その一方でいっぱしの口をきいて事態を悪い方にしか向けていない、そのお先棒を担いでいるのに、危機どころか有事について、その責任が当事者あのアメリカにある、などと予防線を張る、こういう国家や国連の常任理事国が、本当にそのまま常任理事国として大手を振っていいのだろうか、そういう気がする。もちろん国連分担金なども日本よりはるかに少ない拠出金でいながら、平然としている。つまり日本の危機、あるいは将来生じる危機的な事態に関して、その事を本当に憂えて、日本や世界の平和について、対処しようという将来について望みを持てる政治の光明が現政権には持てないのだ。
我々はまさしく今、安倍晋三という首相と北朝鮮問題という内憂外患状態にあるのだが朝鮮人国家や中国人国家あるいはロシアという国家が隣にあると不幸、そういう事だろうか。

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安倍晋三の政治手腕を信じてはいけない。 [所感]

安倍晋三の政治手腕を信じてはいけない

 安倍晋三の内閣支持率、下がっているようだが、実力を考えると高すぎる。
 ここに来て安倍内閣の体質が分かってきたと見えて、低落傾向だが、それでも一桁とはなっていない。

 自身の身内である旧戦犯の岸信介の事しかやっていないように見えるのに、相変わらずの支持があるのは、それにとって代わる受け皿がない、そのように国民が思っているからだろうか。

 しかし、何かというと、経済の安倍のような事で支持率回復をしてきたが、今の景気回復の助走は民主党内閣の時のものであり、決して実体を伴う経済運営(例えば国民の年金の原資を人質にした株への投資など虚業に足を突っ込み決して安定したものなどと言えないどころか、実態が明らかになった時、我々国民が驚愕する事態が起こる)の結果だとは言えない事は、アベノミクスを“アホノミクス”と揶揄する人たちによって語られているから、敢えて、ここで言うまでもないだろう。

 首相お膝元の内閣府で発表される経済状況は、“経済協力開発機構(OECD)加盟国35カ国での国際順位は前年より1つ下がり、20位となった。”というものに代表されるように日本の経済成長率はせいぜいが1%を0.1とか0.2%上回るかどうかというレベルなのに対して欧州諸国など3%近辺で推移しているという、日本の経済運営など決して誇れるようなものではないのだ。

 であるのに“経済の安倍”のようなことを言っては、実際には戦前の体制へと逆行するかのような社会の仕組み、特に警察国家へともっていって国民への縛りを入れる事ばかりしている。

 では、それだけ旧体質の事、例えば、情、義、信、忠等の人としての資質を重んじるかと言えば、森友学園問題に象徴されるように、教育内容を絶賛していたはずの自身が、その信を裏切るような事をやって、当事者の籠池氏から恨みを買う事になっている。

 言っている事とやっている事は違うし、安倍晋三という人物が本当に信じるに足る人物か、そういう事になる。

 では、少し前に強引に成立させた安保法案や、集団的自衛権とも絡む日本の外交・安全保障に対する言動はどうなのだろうか、そう見てみると、むしろ民主党政権時代の菅直人首相当時の自称中国漁船の挑発という武力行使への日本政府の対応の方が国民への安心感はあったかもしれない。

 この事に関しての私の感覚は、中国という国は火傷をしない限り、次から次へと自分たちの利益を求める行動を起こしてくる、そういう背景まで読んで対応しなければならないところ、あまりに弱腰に過ぎた、これがその後の尖閣への領海侵犯行動の常態化へとつながった、そう思っている。

 そういう目で見ると、安倍外交は強腰で安心感があるように一般の人は思うかもしれない。しかし、安倍晋三の言動が日本国民の安全安心を損なったことは確かであるし、今後もその事は危惧される。

 どういうことか覚えていない人もいるだろうから、その事に少し触れるが、ジャーナリストやあるいはボランティアその他で中東の紛争地帯に出かけている人たちがいる。

 私の感覚では、賛成できない行動だが、その中で武装勢力に摑まった人がいる、まさにその時に同じ中東の、それもすぐそばの国に行って、テロには屈しない、あるいは、武装勢力側から見れば敵対行動をとる、そのように宣言したかのような声明を発せば、遠い、日本の国会答弁とは違って、自分たちのテリトリーで敵対行動を宣言されたとみなされる。

 結果、武装勢力にとらわれていた日本人が処刑されるという結果につながったのだが、私はこの安倍晋三の政治的センスのなさ、どうして自民党の中で問題にならないのか不思議でならなかった。いや、自民党レベルの話ではなくわざわざ国民の一人を絶命させる処刑への後押しをしたのだから、国民レベルでの疑問提起があってしかるべきだったと思う。

 アメリカでさえ、中国や北朝鮮の国際的慣例から見ればどうかと思う自国民の拘束に対して、慎重な行動を取ったり元大統領を派遣して釈放させるなどの行動をとっているのに、何故、自己責任だからと、日本人であるにもかかわらず、危険に曝されている、その人命への執着を放棄するどころか、絶命へと後押ししたのだろうか。

そしてこのところの北朝鮮のミサイル及び核開発に伴う緊張の中で、ミサイル発射の都度、過剰に反応して、北朝鮮がアメリカを相手に発言している中、わざわざアメリカの前にしゃしゃり出て、日本に対する重大な脅威とかなんとか、言っているこのセンスは何だろうか。

 北朝鮮は日本に対するミサイル攻撃について“日本の米軍基地”そういう限定発言だったはずだが、五月蠅いハエのように、ミサイル発射実験の度に安倍がしゃしゃり出るものだから、とうとう、日本が焦土になるという話まで行きついてしまった。

 実際にそういう事が起こらない事を見切っての北朝鮮の話だが、しかし、本当に起こるか起こらないかは誰にもわからない。それはそうだろう、誰だって武力衝突が起これば、そして核を前面に押し出そうとしている国が戦争になれば想像を絶する惨事となる、そういう事が分かっていながら武力を前面に押し出そうとしている連中のやることだからだ。

 であるのに、何故、安倍晋三はわざわざアメリカの前に出て北朝鮮の矢面に立つ? 中国などを見れば反吐が出るほどの国家エゴを国際社会で出しているが、安倍晋三のそれは、むしろ日本国民の生命財産を危険に曝す行動で、決して国家エゴなるものではなく、したがって、浅慮の人物たちからでさえ共感を得られるものではないだろうし、まあ一種の国民へのテロという事だろうか。

 北朝鮮のやっている事は決して正当化されるものではない。しかし、戦争回避の努力もせずに宣戦布告書を出した日本、そしてそこに名を連ねた岸信介を信奉するような人物が、明確に平和的解決へと導けるわけでもないだろうに、何故、多くの経験、スタッフを持つアメリカの前にしゃしゃり出て、より緊張を煽るなど何を考えているのだろうかと思う。

 350万余の戦死者を出していながら、その総括もできない既成政党の指導者に1億3千万の国民の生命財産を守るという気概が本当にあるのだろうか。森友学園問題で、自身や夫人が少しでも関与してれば首相も国会議員も辞める、そのように大見得を切った割には、素晴らしい、そう称賛していた教育方針を実施していた森友学園の理事長を切り捨てたかのような対応。いつか我が身に及ぶのではないかと、国民が思っても不思議ではないのだが、さて、そういうところまで見ている国民はどれだけいるのだろうか。

悪いが、行政トップとして合格点を上げられないような人物のしでかした結果を尻拭いする事だけはしたくない。何故ならば安倍晋三が登場してきた時から、その器でないこと指摘してきている私には、彼を首相としている責任はないからである。

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航空機座席はファースト? エコノミー? [日記]

旅行好きの私、と言ってもあまりに早期に仕事を辞めてしまったので、先立つものがなく、海外どころか国内の旅行も、御無沙汰、そういうところなのだが、そういう私にとっては、海外へのファーストクラスでの渡航など夢のまた夢である。

そういう私の目にある方のブログでのファーストクラスの話が飛び込んできたので、少しばかり書いてみたい、そう思った。

、もう、かなり経つだろうか、航空機の中で、乗務員がエコノミーの客に話しかける場面か何かで、乗務員が乗客のサラリーマン風の人物(小林薫)にどういう用で乗っているのか、尋ねて、仕事と答えられて、え? エコノミーで? と今時仕事での飛行機利用がエコノミーなんて、どれだけ三流の企業なんだろう、というような内容のテレビCMが放映されていたことがあった。

え? 世の中の企業って、エコノミークラスでの出張なんてしないの、そう思ったものだ。私が初めて海外への渡航で利用した飛行機の座席は、自分で手配したのではなかったのでわからなかったが、シャンパンが飲めたりしたので、同行した同僚曰くエグゼクティブクラス(今はこういうクラスはない? ビジネスに統一?)だと言っていた。

海外に出ること自体が初めての事でもあり、色々な事に思いを巡らしていたせいか、座席のクラスなど頓着していなかった、いや考える余裕もなかったので、会社に優待してもらっていた事への感謝などもあまりしていなかったかもしれない。渡航先では通訳もいたり、当時ほとんど英語を話せなかった(いや、今でも不自由しますが)私にはありがたい話で、その後、転職をして後、いかにその当時の会社に大事にしてもらっていたか、感謝の気持ちが足りなかったかもしれない、振り返るとそういう気持ちになる。

ところが飛行機利用回数が少なくても、少し余裕が出てくると、おかしな乗客のいるエコノミーよりはビジネスとかファーストクラスの方がいい、そのような気になりだした。

まあ、親方日の丸、というほどのでかい企業ではないものの、自身の貢献度からすればビジネスくらいは当たり前、そういう気になってくるもので、多忙な中での出張だと、エコノミーから座席が埋まってくるという定説を覆すような時もあり、必然的にビジネスに乗ったり、利用航空会社によってはファーストクラスにも乗れる場合があったり。

しかし、私の場合、飛行機利用で食事を楽しみにする割には、飲み物サービスが始まる前からほとんど寝てしまっていたり、上のクラスのサービスの恩恵などボーディング前の待合室さえも駆け込みのチェックインだったりで利用できず、まあ、エコノミー相応か、自身でそう思うようになっていた。
まだ、務めていた時代にエコノミー利用での出張をしたら「君はビジネスクラスで出張していいのに、それを知らせなくて申し訳ない、次からはちゃんとビジネスを手配するように」そう言われた事があった。
その会社ではマイレッジが貯まり易く、上のクラスに変えて出張している人物などもいたが、私自身は、もうファーストとかビジネスとか面倒くさくなって、社用でもエコノミーでも全く気にもしなくなっていたのだが、そういうものでステータスを感じる人もいればそうでない人もいるのが世の中なので、まあ、航空会社の利益に貢献はしないかもしれないが、こういうもので他人への特権を感じるよりは、他の追随を許さないという余人をもって代えがたい仕事をするという事に集中したい、サラリーマン生活の最後の方では、そう思っていた。
エコノミーと一口に言ってもエコノミーでさえも内容に差があるらしいのだが、飛行機に乗るのは目的ではなく手段の一つであり、楽しいあるいはリラックスできるに越したことはないが、所詮、庶民の一人、分相応に、そういう事だろうか。

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これでいいの? 自民党支持者の皆さん! [所感]

日本国民には色々な考え方の人がいて、憲法も思想信条の自由を保障している。だから、色々な政党があって、それを支持するのも自由だとは思う。

しかしねえ~、こんな国会議員や閣僚、自分たちの代議員として国会や行政に携わらせて、いいのかねえ、そういう御仁が自民党にいるのだが…。

もちろん野党にもおかしな議員はいるし、そもそも国会議員や行政というもの安倍晋三という首相にして、理解しているとは思えないのだから、まあ、おかしなのがいっぱいいるのは当たり前か、そうは思うのだが。

しかし、安倍晋三の命を受けて教育分野にまでおかしなものを持ち込もうとしている、その本人たちが、李下に冠を正さず、そういう事すら実践できていないし、故事や諺など古きよきものなどと昔の体制や近代民主主義の時代にふさわしくないものを復活させようというもの、現実には天に唾するものだと思いますがねえ。

今回、ここで言いたかったのは、具体的に言えば、これは自民党国会議員なの? 自民党国会議員ってそんなに頭が悪いの? それとも、痛くない腹(本当は痛い腹)を探られたくないときの脛に傷を持つ人物特有の、相手攻撃、そのものを行った国会議員の事なのだが、放置するには重大事、私にはそう思えるので、取り上げたのですが。

少し前に「保育園落ちた、日本死ね」そういう内容のブログが話題になり、待機児童問題や保育園の受け入れ容量の問題が出て、それに応えない行政が批判される形となり、多くの組織で慌てて、その対策を講じなければならない話になった。

この時、平沢勝衛という元警察庁長官(安倍晋三首相の元家庭教師としても有名で、安倍晋三は平沢勝衛でなければ自分も東大に行っていたと冗談めかして言っている)の国会議員が「文章が乱暴だ」とその訴える内容には言及せずに、その表現や表現方法についてのみ言及し批判していた。

国民の代わりに国会という場に出ている人物が、こういう事も理解しきれない、そんなのでいいのか、そう思いますが、平沢勝衛は、テレビへの露出度の多い国会議員で、視聴者はあまり嫌味を感じないタイプの政治家だと思う。

しかし、そういう人物でさえ、こういう反応だったのだから、そして東大出身の官僚、さらに官僚上がりの政治家にしてこの程度の理解力なのか、そういう驚きの方が勝ってしまうのだが、やはり、こういう感覚の政治家を放置してはいけない、そう思う。

いやいや、ところがである、森友学園問題を強引に幕引きをしたかのような政府・自民党の対応だったが、そこに加計学園問題が降って湧いてきた時に、いきなり、その実態を表すに近い資料の問題で、その資料の存在を証言する前文科省次官の証言が出た時に、その存在の有無や、更に同様趣旨の資料の存在の調査に言及するどころか、証言した前事務次官の退任時の経緯(それも何の証拠もなく決めつけ、事実関係を国会委員会での閉会中審査で問われると、担当者からの伝聞、とトーンダウン)を何の脈絡なく披露したり、プライベートの素行(心象としては自身に心象として悪い話を事実とありのままに認めた前次官の方がはるかに人間的にりっぱに見える)などを取り上げて、批判に終始し、問題の資料の存在の有無を取り上げるレベルでもない、あるいは怪文書とまで明言。

結果的にどちらに非があったか。もちろん、前次官の証言通りに、問題の概要を表す省内資料は存在していた、その時点で自らの言動の非を認め、前次官に謝罪すべきところ、そういう事もしていない。

これで政府の重要閣僚である官房長官などと言うのだから、いくら安倍晋三のおかしな懐古主義を支持したって、あなた自身が礼儀すらわきまえられない人物で、礼節など言及する資格がないんじゃないの? そういうところだと思いますが、この張本人の菅義偉。おかしくないだろうか。

安倍晋三のための政治ではないし、内閣でもない。国民のための政府であるべきところ、それに少しでも疑義が生じるならば、首相に諫言するとか、そういう事でなければ、おかしな大人の代表として子供に顔向けできないのではないか。

そういう教育の根幹のところで踏み外している人物を自民党支持者たちは、国民の代表として国会に送っていいのだろうか、考えてほしい。もちろん、私はこんな人物、支持する気はないが、こういう事一つ一つやっていかないと、おかしな体質が定着してしまうのではないだろうか。

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