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寛容の心 [所感]

寛容の心、などと私が書くと、まずはお前が実践しろなどと言う声がどこかから聞こえてきそうだが、ブログの中で、これまでも子供帰りした社会と、寛容さを失いつつある現代社会を評してきたのだが、今年は、これに極まれり、そういう年であったかと思う。

社会正義も何もなく、ただただ、のぞき趣味的嗜好で政治家や芸能人たちの不倫騒動というものを流し続けて、それに乗ってきた週刊誌、テレビ。

くだらないなあ、そう思っていたら、将来は初の女性首相とも目され、いや期待感もあった小池百合子がなんと排除の論理を流し、排除発言自体の政治的姿勢は正しいなどと、言う輩も出てくる始末。

四横綱揃い踏みの相撲が見られるかと期待した九州場所が早くから横綱鶴竜や稀勢の里の脱落が伝えられて、期待を裏切りつつあったその場所が、残った二横綱のうちの日馬富士が暴行問題絡みで休場となり、何とも寝覚めの悪い場所になってしまった。しかし、相撲とは別の話がいただけない。

相撲道、いや貴乃花本人曰くの角道(ワードではこういう熟語は出てこないので、ほとんど語られない言葉という事か)とは、かくも狭量の精神なのかと思わせる頑なさは、子供帰りの最たるものか。

国家や、国民に関しての話は妥協してはならない、そういうものがあり、それに無関心だったり、権力の言うなりになったというものが350万の命を失う戦争と結びついたのであり、こういう事に関して、大人の対応など必要はない。

しかし、貴乃花の考え方ややり方はいかにも私を貶めた警察、検察と通じていて、違和感を感じるのだ。

これまでも機会があるごとに私が陥れられた裁判について内容を語ってきたが、一人暮らしで、家族はわからない、そういう話をされて、こいつが勝手に突っ込んできたから自業自得だ、そう言い放てる人物はいないと思う。
人命優先で対処した私に対して、警察、検察、裁判官たちは事実もわからなかったりあるいは事実をねじ曲げる、はたまた公判前であるにもかかわらず、勝手に懲らしめてやれ、そういう対応をしたものである。したがって裁判官達は自分たちの判断ミスを棚に上げるために、有罪にするためのでっち上げとそういう材料しか取り上げなかったが、自力で生活のできない年寄りを抱えている私への配慮など、一切なかった。

私が警察や検察、裁判官そして相手側への謝罪を求めている理由は、彼らのやった事が常識を超えており犯罪の域まで達したからである。

先鋭的に見える私でさえ、相手の責任など一切問わない、とにかく自爆行為であっても元気になってほしい、そう伝えたはずだが、そこには寛容の気持ちがあった。

市民同士という事であれば、相手に刑事罰をできるだけ問わないように考えるのが私なのである。警察が絡むから話がややこしくなる。

江戸の昔で言っても、名奉行として名高い大岡裁きや桜吹雪の遠山の金さんが庶民に人気が高いのは、不要な咎人を作らない、その事に尽きる。だからと不公平感のある裁きをしたという事ではない。人というものを大事にするからこそのはずなのだが、評判の悪い火付け盗賊改めでも長谷川平蔵は、咎人に人気があったという。

人足寄せ場、つまり寄せ場送りになるとそれが咎人として罰のような感覚が時代劇ではあるが実際には、咎人の再犯が、手に職のない事からくるものだと、寄せ場で手に職をつけさせる等、相手の身になって対応した、という事らしい。相手の身になってというものでは、咎人の顔に手ぬぐいをかけて顔を隠してやったという話があり、そういうものなどが、とかく評判の悪い火盗改めの中から小説の主人公に取り上げられたのだろう。

いずれも寛容の心があり、庶民をむやみに罪に落とすという事からは遠かったのだと思う。

頑なに誰が加害者でだれが被害者か警察に捜査してもらうとい話。警察にそんな捜査能力などありはしない。自身の目的のためなら協会だろうと力士あるいは横綱だろうとそんなもの関係ない、そのように私には見えるのだが、こういう風潮、当たり前のようにならなければいいが。

で、モリカケ問題、どうなった?
まさか安倍晋三から貴乃花にもっと引っ張るように依頼があったとは思いたくないが、マスコミも焦点を当てて突き詰める対象が違うんでないの。

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